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『申し訳ありませんが、夜は用がありまして。また今度打ち合わせの時間を設けますので、お話はその際におうかがいしますね』
これで話はおしまいだと思ったのに、
『用ってどんな?』
響己は訊いてきた。
『夕食を作らないといけないので』
『夕食なら俺と一緒に食べればいいじゃない。奏くんの好きなものでいいからさ』
『夕食を作る約束をしているので。ほんとうに申し訳ありません』
奏はメッセージを打ちながら社屋を後にした。急いで帰って急いで食事の支度をしなくては。見た目によらず食いしん坊な王子様は、きっと腹を空かせて奏の帰りを待っているに違いない。
ぽん、ぽん、ぽんとメッセージの着信音が立て続けに鳴った。
『約束って誰と?』
『奏くんは独身だったよね?』
『まさかつきあってる相手がいるとか?』
『いったいいつから誰と』
ポケットにしまったスマートフォンを取り出すと、短文のメッセージがいくつも届いていた。なんだってそんなことを訊いてくるのか。少々面倒くさく思ったが、相手が作家先生なので無視はできない。
『少し前から同居している相手がいるんです』
これで納得するだろうと思ったのに、秒で次のメッセージが飛んできた。
『同居!?』
『それって男? それとも女?』
『まさか結婚前提の同棲だとか?』
『奏くんにかぎってそれだけはないと思っていたのに』
『ひどいよ。裏切り行為だよ』
荒い鼻息が聞こえてくるような文面だ。
奏は見るからにモテそうにない容姿をしているし、事実モテない。が、そこまで驚かなくてもいいんじゃないだろうか。驚きどころか、奏がモテるのが罪悪であるかのような文面だ。
王子との関係をどうやって説明したものか。奏は駅へ向かって雑踏を歩きながら考えた。
事実は話さないほうがいいだろう。最初の日にエリファスから、
『魔界の王子が人間界で人間とルームシェアしていることは秘密ではありませんが、できるだけ広めないようにするつもりです。もしも知られたらマスコミが取材で押しかけてくるでしょうし、王子がそれに上手く対応できるとは思えませんから。それにここへ取材陣が押しかけたりしたら、奏様にもご迷惑がかかります。奏様も物見高い連中が押しかけてくるのはお嫌でしょう?」
そう言われている。ミハイエルが取材を受けるだけならともかく、奏まで同居人としてあれこれ訊かれるかもしれない。マスコミの前でコミュ障っぷりを晒すのはごめんである。
『甥っ子が東京の高校に合格しまして。卒業までうちで暮らすことになったんです』
響己を騙すのはいささか良心が痛んだが、これも己のメンタルを守るためだ。嘘も方便。嘘は世の宝である。
『あ、なーんだ。それを先に言ってよ。泣いちゃうところだったじゃない』
いまのやり取りのどこに泣く要素があったというのだ。
『そっか甥っ子くんか。よかった。じゃ、食事はまた近いうちにいこう。今度は前もって誘うから』
まさかまた響己の奢りだろうか。担当作家にたびたび奢ってもらっていると編集長に知られたら、大目玉を食らうかもしれない。いくらプライベートのつきあいとはいっても、しょせんは作家と編集者だ。奢ってもらうのは前回で終わりにしなくては。
『次こそは作品の打ち合わせをしましょうね。では、これから電車に乗るので失礼します』
メッセージを送って電源をオフにする。
奏はスマホをポケットに突っこむと、渋谷駅の中央口を入っていった。
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