317人が本棚に入れています
本棚に追加
……そうか、おれの料理を食べると亡くなったお母さんを思い出してしまうからなんだ。
舌になじんだ懐かしい味は、苦々しい痛みを呼び寄せる。母親を死に追いやったという自責の念とともに。いまこうして向かいあって食べてくれているということは、少しはふっきれたんだろうか。
「お、王子のお母さんって、ど、どんな料理が得意だったんですか」
「そうだな……母はよく肉じゃがという料理を作ってくれた。俺が好きだったから。人間界のものとは違うんだろうが、できるかぎり似せて作っていたみたいだ」
「じゃ、じゃあ、明日は肉じゃがにしますね。お、王子のお母さんほどには、じょ、上手に作れないと思います、けど」
奏が勢いこんで言うのを、ミハイエルは不思議そうな顔でながめていたが、
「わかった。楽しみにしている」
薄い色の唇が笑みの形を作った。笑みは一瞬で消えてしまったが、奏は見逃さなかった。
で、で、デレた……! 王子がデレた! 尊大王子の貴重な初デレいただきましたー!
心臓がばくばく騒いでいる。推しのファンサを受けた熱狂的ファンの気分だ。いや、おれは王子のファンでもなんでもないけれど。
ミハイエルには『この人に気に入られたい』と思わせるなにかがある。いずれは魔王になる男だ。生まれつき人を魅了する力が備わっているのかもしれない。
高校が始まったらむちゃくちゃ女の子にモテそうだよな。この顔立ち、このスタイル、この雰囲気だ。毎日が確変状態に違いない。
羨ましいような、そうでもないような。
食べ終わった奏は食器を手に立ち上がった。
「もうひとつ、おまえが母に似ているところがある」
ミハイエルは椅子から腰を上げたかと思うと、すっと奏に近づいてきた。首の後ろをひんやりした手でつかまれた、と思ったら、こめかみに鼻先を寄せてくる。くん、と鼻を動かすのが髪に伝わった。
「えっ、ちょ、ちょ、な、な、なに」
ぎょっとして飛び退くより先に、ミハイエルはすっと身体を離した。
「おまえの香りは母の香りによく似ている」
「は……」
香りって体臭のことだろうか。奏は腕を持ち上げてくんくんと匂いをかいだが、これといって良い香りもしなければ、嫌な匂いもしなかった。
人をぎょっとさせたことに気づいていないのかどうでもいいのか、ミハイエルはしれっとした顔で洗面所に入っていった。
「…………エリファスさん、王子に常識を教えてやってくれって言ってたっけ」
人の匂いをかぐのはちょっとまずいということを、高校が始まる前に教えなくては。クラスメートや教師相手に同じ真似をしたら大変だ。
奏は、魔界の王子に日本の常識を教えることを、固く心に誓った。
最初のコメントを投稿しよう!