一話 あなたは王子の同居人として見事に選ばれました

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 エリファスは今後のことについてひととおり話をすると、契約書を残してベランダから飛び立っていった。また数日後にくるので、それまでにサインをしておいてくれ、とのことだ。  思わず引き受けてしまったが、いったいこれからどうしよう。このせまい部屋でルームシェアだなんて、相手が気心のしれた友人だって気が重いのに、なんと相手は魔界の王子なのだ。  もっとも奏には気心が知れたどころか、プライベートでつきあいのある相手がひとりもいないわけだが。  奏は眼鏡の奥の目を王子へ向けた。王子は長い脚を組んで、ベッドに悠然と腰かけている。  モデルみたいなその姿と、しょぼい部屋の光景がまるでそぐわっていない。なんだか騙し絵を見ているみたいで、平衡感覚がおかしくなる。  王子の顔は不機嫌そのものだ。同居なんて嫌で嫌でしかたないが、掟に背いたら王位継承権がなくなるのでしかたなくここにいるのだ、とその顔は語っている。  王子様ってもっと自由気侭、我が侭放題に暮らしているものと思っていた。王子様には王子様なりの苦労があるんだな、とひっそり同情する。  なにか話しかけたほうがいいだろうか。でも、なんて言って? ただでさえコミュ障なのに、魔界の王族に話しかけるなんてハードルがスカイツリーだ。 「なんだ?」  奏の視線に気がついたらしい。王子はじろりと睨んできた。 「えっ、い、いや、あ、あの……に、に、に、日本語お上手ですね」 「それなりの魔力があれば他言語の習得などたやすい。おまえたち低脳な人間と一緒にするな」  どうやらますますご機嫌ななめにさせてしまったようだ。 「おい、低脳」 「は、はいっ!?」 「客がきているのに茶のひとつも出せないのか」  冷ややかな声で言われて、慌てて台所へ向かう。  ずいぶんな扱われようだ。王子は十五歳だと言っていたから、奏のほうが十も年上なのに。  お茶っていっても、うちほうじ茶しかないんだけど。魔界の王子様にほうじ茶なんて出していいんだろうか。  少々悩んだが、なにも出さないよりはマシだろう。奏はマグカップにほうじ茶を注いで、部屋へもどった。 「え、えーっと、あの、そ、粗茶ですが……」  おずおずと差し出す。 「なんだこれは。変わった匂いがする」 「ほ、ほうじ茶です。あ、あの、お口にあわないなら、む、無理して飲まなくっても……」  王子は胡散くさそうな目でマグカップをながめていたが、思いきったようすで口へ運んだ。 「……悪くはないな」  どうやらお口にあったらしい。ほーっと胸を撫で下ろす。口にあわなかったらマグカップを投げつけられるんじゃないかとびくびくしていたのだ。 「おい、低脳」 「あ、あ、あの、て、て、低脳はいくらなんでも、ひ、ひどいかと――」 「低脳が気に食わないなら愚人とでも呼ぶか」  どっちもどっちだが、低脳と愚人なら響きが軽いだけ低脳のほうがマシな気がする。 「て、低脳でいいです……」 「言っておくが、俺はおまえと慣れあうつもりはないからな。ここで暮らせと命じられたから渋々暮らすだけだ。おまえも金目当てで引き受けたんだろう。だったらこれは仕事だと割り切るんだな」 「い、いや、でも、せ、せまい家ですし……ギ、ギスギスして過ごすのは、お、お、お互いストレスになる、んじゃないかと――」  鋭い目で睨まれて、背筋がビッと伸びる。 「低脳の分際で俺に指図をするな」 「もっ、も、も、申し訳ございません!」  さすがは魔界の王子――それも第一王位継承者だけはある。全身から放たれる威厳に、ついつい土下座してしまった。  王子はふんと顔を背けると、マグカップを口に運んだ。人を人とも思わぬこの態度。いったいどういう教育を受けてきたのか、と通常なら思うところだが、王子にはふさわしい態度だと言えなくもない。  ……これから三年もの間、この尊大王子と暮らすのか。自分で選んだこととはいえ、頭痛とめまいが同時に襲ってくる。  しかたがない。すべては可愛い妹のためだ。  奏はこみ上げてきた溜め息を無理やり呑みくだした。
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