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「おまえもここで食べるのか?」
奏が反対側の椅子に腰を下ろすと、ミハイエルは嫌そうに眉を寄せた。
「あ、あの、食卓はこれだけなので……」
パソコンのデスクもあるにはあるが、なるべくならパソコンの前では食事をしたくない。
おずおずと顔色をうかがったが、ミハイエルはそれ以上文句は言ってこなかった。
「いただきます」
魔界の王子とは思えない律儀さで手をあわせてから、箸を手に取る。
妙な緊張感のある朝食タイムが始まった。
「おい」
「はっ、はいっ!?」
なにか文句を言われるのでは、と肩に力がこもる。
「これはなんだ」
割り箸でつまみ上げたのは人参のナムルだ。
「そっ、それは、に、人参を細く切ったものを、ゴマ油やお塩で和えたものです」
「マイヤに似てるな。そうか、これが人参か……」
マイヤというのは魔界の野菜だろうか。
魔族ってどんなものを食べているんだろう。ふと疑問に思う。
魔界との交流が始まって十年になるものの、魔族の生態はいまだ謎に満ちている。魔族たちは人間界へ遊びにきているようだが、その逆はない。魔界の空気は人間には毒らしく、気軽にいけるような場所ではないのだ。
交流が始まって間もないころ、魔界のドキュメンタリーが放送された。テレビ局のクルーは防護服に身を包み、酸素ボンベを担いで魔界へ足を踏み入れたそうだ。
テレビで見た魔界は欧州の街並みによく似ていた。石や煉瓦で作られた家々に道路。瀟洒な街灯。遠くに見える山と城のシルエット。古い欧州の街をみているような錯覚を起こしそうになったとき、白昼にも関わらずはっきりと浮かび上がる巨大な月に気がついた。
美しいがどこか仄暗い。仄暗いが不思議な魅力に満ちている。それが魔界に抱いているぼんやりとした印象だった。
奏はミハイエルをちらりとながめた。
この少年も魔界と同じだ。美しいがどことなく仄暗い。闇の匂いをまとっている。それでいて恒星のようにまばゆいのだから複雑だ。
ミハイエルは巧みに箸を操り、朝食を平らげていく。美味しいのひと言もないかわりに、文句のひと言もない。少しでも口にあわなかったら顔面に投げつけるくらいはするだろうから、きっと味は気に入ったのだ。
奏はホッと胸を撫で下ろした。
「あ、あの、も、も、もしよかったら、な、なんですけど、こ、これからも朝食をつっ、作りましょう、か? ひっ、昼は仕事でいないし、よ、夜も遅くなるから作れませんけど、せ、せめて朝食くらいは」
あらかた朝食を食べ終わったころ、思い切って口を開いた。
料理を作るのは好きだ。料理を作ることというよりも、作った料理を誰かに食べてもらうのが好きなのだ。
両親が離婚し、父親とふたり暮らしを始めてからは、料理が奏の存在価値だった。食事の支度をすると、いつもは奏に無関心な父親が『すごいじゃないか』と褒めてくれる。ありがとうと言ってくれる。それがうれしかった。
奏がいちばん欲しかった言葉は一度も言ってくれなかったが。
ミハイエルの目が奏へ向く。目と目があっただけなのに、心臓がどくんと弾む。
「作りたいなら作ればいい。気が向いたら食べてやる」
呆れるくらい尊大な口ぶりだったが、不思議と腹は立たなかった。残さずに食べてくれた。二度と食べないとは言わなかった。それでじゅうぶんだ。
これからは食事を作る相手がいる。奏を少しでも必要とする人がいる。
そう思うだけで、冷えた暗がりに陽が射し入るような気がした。
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