悲しみの終わる場所

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 ぼくは、両親に捨てられた子どもだった。  まだ3歳の頃、ひとりでぽつんと家にいたぼくを拾ってくれたのが、お母さんの両親、つまり母方のじいちゃんとばあちゃんだった。 「あんな娘に育ててごめんな。立派な人間になってほしくて、厳しく育てたのになぁ」  そう言ってじいちゃんはポロポロ泣いた。ぼくの知る限り、じいちゃんほどよく泣く人はいない。「昔は笑顔ひとつ見せない怖い人だったのよ」とばあちゃんは言うけど、ぼくにはまったくそう思えない。  記憶の中で、じいちゃんはいつも笑っていた。  お母さんを厳しく育てた反動か、じいちゃんはぼくには激甘だった。ばあちゃんが呆れるくらいに。  夕飯前に、お菓子も欲しいだけくれた。そして結局夕飯が食べられず、ばあちゃんにふたりで怒られた。  そんなことも未だに覚えている。  ぼくのお母さんがぼくを産んだのはまだ高校生の頃だった。お父さんは知らない。お母さんと同じクラスの子だったけど、妊娠を知ると逃げるように転校してしまったらしい。  お母さんは妊娠したことを言えなくて、言えなくて、言えなくて、おばあちゃんが気づいた時にはもう中絶もできなかった。  じいちゃんは激怒した。  そしてお母さんを勘当した。俺に恥をかかせやがって。子どもなんて知るか。勝手に育てろ。と家を追い出した。  お母さんの味方になってあげなかったことを、じいちゃんはいつも悔やんでいた。そしてお母さんの代わりにぼくに謝っていた。いつも泣きながら。ごめんなぁと。  それでもお母さんは頑張ったらしい。ばあちゃんがこっそり援助はしていたみたいだけど、夜の仕事をしながらぼくを育てようとしてくれた。  でもぼくが3歳の頃。「本当に好きな人に出会ったので、自分の人生を生き直します」という手紙だけ残して消えてしまった。  そして今も、どこにいるのかわからない。  ぼくも探すつもりも、ない。  じいちゃんは謝ってくれたけど、ぼくはお母さんと暮らすより、じいちゃんたちと暮らす方が楽しかったから。  じいちゃんが泣くから言わなかったけど、母さんはぼくを叩いてばかりいたから怖かったんだ。  じいちゃんちに連れてこられた当初、ぼくは無口で、がらんどうな目をした子どもだった。  思ったことをそのまま伝えたり、感情を出しても怒られないとわかるまで一年はかかった。その間、じいちゃんたちは辛抱強く待ってくれた。  ぼくには絶対に怒らない、いつも優しいじいちゃんと、その分ぼくを叱ってくれたばあちゃんとの生活は楽しかったし幸せだった。  でもそれも長くは続かなかった。  一緒に暮らし始めて3年目。ぼくが6歳の時、じいちゃんは真夜中のビルで警備中、男に刺されて死んだ。  その男はクビになった腹いせに会社を放火するため、ビルに忍び込んだ。それを止めようとしたじいちゃんともみあってるうちに、脅すために持っていた包丁が胸に刺さって死んだんだ。  それから15年。ぼくは今、じいちゃんの眠るお墓に初めて来た。  葬式の時も、ぼくは現実を受け入れられなくて、泣きわめいた。火葬場のことも記憶にほぼない。ずっと泣いていたと思う。  49日も過ぎて納骨も終わってから、「墓参りに行こう」とばあちゃんに誘われても、ぼくは絶対に行くとは言わなかった。  じいちゃんは帰ってくると心のどこかで信じていた。  じいちゃんの死体もはっきりと見たのに、眠っているようにしか見えなくて、起きて起きてと叫んで、叫びつかれて声が出なくなるほどだった。  墓地は見たことがある。あの冷たそうな、灰色の石の群れ。あんなところにじいちゃんはいないんだ。絶対に帰ってくる。ぼくのところに。  いつもみたいにお土産のお菓子を持って、帰ってきてくれると馬鹿みたいに信じていた。    でも、戻ってくることはなかった。  だから代わりにぼくが来たよ、じいちゃん。  15年、淋しい想いをさせてごめんね。  じいちゃんの残してくれたお金で、ぼくは大学まで行けた。だから初めての給料をもらったら、今度こそ会いに行こうと思っていたんだ。  ばあちゃんは泣いて喜ぶかな。  あの人は今でも怖いよ。80歳を超えてるのに、怒るとむちゃくちゃ怖いんだ。でもその厳しさと優しさのおかげで、ぼくは、自分の稼いだお金で、じいちゃんのために花を買えるような人間に育つことができたよ。  知らぬうちにぼくの目に涙があふれていた。  ぼくはぼくを捨てたお母さんには会いたいとは思わない。  でも今でも、あなたには会いたくて会いたくてたまらない。  帰ってきてほしくてたまらない。  流行遅れのお菓子をお土産だと言ってぼくに渡して、頭を撫でて欲しい。  会いたいよ。  じいちゃん。                
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