幸せな帰結

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 外を走る車のエンジン音も聞こえない真夜中の布団の中にわたしはいる。一畳ほどのわたしだけのこの場所で、この世界にはわたししか生きてないような静寂に包まれる。そして誰も知り得ないことを考える。  童話に出てくるお姫様や王子様はその後どうなったのか。  幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。  けれど、シンデレラは熟年離婚しました。  けれど、オーロラ姫はDVに苦しみました。  けれど、人魚姫の王子は後継問題に悩みました。  めでたし、と告げた後にこんな未来が待っていることもあるはずだ。  人は皆、永遠に幸せになんて暮らせないんだ。  末永く幸せに暮らしましたとさ、なんてそんなの幻想だ。嘘だ。そうじゃなきゃ、だめだ。  生涯、同じ相手と添い遂げることが幸せだなんて、誰がそんなことを信じてるんだ。愛なんて二年、三年で寿命がくるもの。今時小学生でもそんなことは知ってる。  愛という名のまやかしが、夫婦という契約を作り上げ、情という名の惰性がその関係を保ち続ける。  じゃあ、人間の、いや生き物の本能である性欲を一体どうやって抑えつけられるんだ。  否、生きる根源である性欲なんて、誰にも抑えられない。  だから、わたしの夫は不倫と言われる行為をする。  わたし以外の雌と交尾をする。若い雌の、その身体に匂いに声に溺れ、体液で若い雌を汚す。そして、何食わぬ顔をしてわたしの用意した食事を食べ、わたしという雌に背を向けて眠りにつく。  性欲とは神が生き物に備え付けたのだ。だから、人がコントロールできると思うのはおこがましい、恐れ多い、不敬である。神々に対する冒涜だ。  わたしの夫という人は、人として、いや生きている者として当たり前の感情を素直に表現している。  生きとし生けるもの皆、子孫を残すために生きている。何万年もの命の系譜を繋ぐために行う行為は生き物としてとても崇高な行為であるはずだ。  だから、わたしはかわいそうじゃない。  わたしという存在が夫の中に一欠片もなく、存在を無視され、ただそこにいるだけの造形物に過ぎないという扱いであろうとも。  夫という素晴らしい生き物の命題を見せつけられている特等席のギャラリーなのだ。わたしの人生の残された時間は、わたしより人として優れた存在である夫を見届けるためにあるのだ。  夫よ。わたしの愛しいその存在よ。  最期までわたしに夢を見せてください。  この移ろう季節を何度も繰り返しながらその姿をわたしに見せてください。何度も同じように桜を眺めてはため息をつき、日差しに目を細めては太陽を呪い、木枯らしにこの身を縮ませ、薄氷を踏む音に儚さを覚える季節を何度も一緒に超えていきましょう。  夫よ、あなたがベッドの中で暑さ、寒さを誰かと一緒に分かち合っている中、わたしはこうして一人であなたのことを思います。  わたしよりも生き物として優秀なあなたに相応しい糟糠の妻として、わたしは惨めな妻を生涯演じるのです。
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