恋愛短編(中編) 蛍

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――― 「それで、そのプロジェクトは?」 「え、あ……」  うだるような暑さの中、僕は大学からの同級生であり、会社の同僚でもある中村と会社の近所のイタリアン料理店に来ていた。目の前にボロネーゼとボンゴレが置かれている。 「お前なあ。一応チーフ補佐なんだから受け答えはしっかりしろよ。プレゼン失敗するぞ」  僕は大学を卒業後、特にやりたいともいえる職業もなかったため、大学教授の斡旋で、まだ大きいとは言えないが、福利厚生がしっかりした文具会社に就職した。  教授は僕と彼女の関係を知っていたので、多分なにかあれば比較的すぐ休める会社を選んでくれたのだと思う。正直、ありがたいとも何とも言えなかった。  趣味もなく、特にやりたいこともなかった僕はただ仕事だけに向き合い、そのおかげか比較的大きなプロジェクトの補佐を任されることも多くなった。店の中は石壁のおかげか、エアコンの作動音があまりしないに関わらず、涼しかった。 「それで、あしたからやす……」   同僚がまた話し出した。休みの間にどうプロジェクトの案を進めるという重要な話だったので、一応集中して聞き、その話に相槌を打ちつつ、でも、少し疲れてしまって気休め程度の時間、外を見ることに決めた。雲一つない快晴の青空が、僕の目に映る。  そして、僕は目を見開いた。  明日からお盆休みなのか、小さな女の子とその母親らしい女性が車に荷物を詰め込んでいたのが見えたが、僕はその2人よりもさらに後ろに立っていた人に意識を奪われた。  ぼんやりとした、白い雲のような人影。風に吹かれた長い黒髪が風に吹かれた踊っている。  ……まただ。また、彼女が立っている。その顔には薄く笑顔が浮かんでいた。  ここのところ、彼女が夢に出てきたり、幻を見ることが多くなっていた。仕事中でも、どんなに酒に酔った夜でも。彼女は何も言わず、ただ薄く笑ってこちらを見ていた。  僕が、最後に彼女のこの表情を見たのが、葬儀での遺影だ。その遺影を最後に見たのは、僕は彼女の家族から散々慰められた後だった。自分たちの方が辛いだろうに、それでも僕が罪悪感を覚えぬように必死になって、泣きじゃくりながら。  葬儀が終わり、外に出ると、青空の向こう側に、灰色の積乱雲が林立しているのが見えた。  ふと、傍の草陰を見ると、一匹のモンシロチョウが、蟷螂に捕食されていた。 「おい? おーい」  過去の世界が左右前後にぶれ、僕は夢の中から、現実に引き戻された。中村が僕の肩を揺さぶったのだ。 「あ、ごめ……」僕は慌てて目の前で心配そうな顔をしている同僚に謝ろうとした。いくら彼女の幻を見たからと言っても信じてくれるような内容ではないだろう。  もう、彼女の幻影は外の陽炎に溶けて、見えない。    すると、同僚は僕の謝罪の声を手で遮って、僕を心配とも不安とも取れるような表情で見つめていた。 「なあ、俺はお前と李ちゃんの関係知ってるし、その結果も知ってるから言いにくいんだけど……。そろそろ新しい人を、見つけてみたらどうだ?」 「え?」  驚いた。目の前の同僚は、僕の心を読む能力でもあるのだろうか? 「いやほら。お前、あんなことがあった後、にこりとも笑わないし、ふさぎ込んでるし。そりゃ、彼女のことが忘れられないのは分かるし、あんなことがあった後、そうなるのは、痛いほどわかる」  同僚は僕の表情を伺いながら言葉をつづけた。 「でもさ、今のお前を天国の李ちゃんは望んでいるのかな? いやほらきっとお前が笑顔にならないと彼女は自分を責めるだろうし……。新しい人ができたら、きっとお前も笑顔になるんじゃないか」  最後に「いや、俺のエゴだな、これは。すまん忘れてくれ」と付け加えた。 「新しい人を探してみたらどうだ?」という提案はこれが初めてではない。僕が、心に色の付かない毎日を送っていることを心配した両親にも言われたし、彼女の両親にだって言われた。  でも僕は、これからの人生で彼女ほど、愛せるような女性ができるのだろうか?  『蛍かあ……。いつか一緒に見に行きたいね』  僕は彼女の表情を、声を、仕草を、忘れられないのだ。きっと新しい人ができたとしても、僕はまた彼女の姿を、灰色の毎日の中に探してしまうだろう。 「ほんとに……さえなければ。それさえなければ、あの子は……」  同僚は、ぽつりと僕に聞こえるか聞こえないかの声量で、実現しそうで絶対にしないであろう理想を呟いた。  
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