─Bye Bye Blackbird

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 さっきはありがとう。そう言おうとしたが、彼にとってそれはウザい以外のなにものでもないような気配がして口を閉じた。命を預けあえば、おのずと相手(相棒)の何が好きで何が嫌いかを理解していく。こいつは安い肉が好きだ。任務の後に食べる大型チェーン店のハンバーガーが好物。彼曰く、安い肉の方が血の匂いがよりするらしい。気がしれない。  目の前に広がる、良い意味で言うならレトロ、悪い意味で言うならおんぼろ遊園地。地下鉄を降りて数分のその場所は寒さに負けない子供で溢れていた。  イーサンとレオのおかげで地下鉄で微かに寝られたがまだ瞼が重い。やはり夜中の任務は次の日に影響する。こういう時に人間はやはり動物なのだと実感する。どれだけ任務に備えようが、太陽が沈んだら寝るべきだ。  隣にいる相棒を横目にちらりと見る。アーネスト・ヘミングウェイの本を読むイーサン。任務絡みだと分かり、私は彼からレオに目線を向けた。小さなメリーゴーランドに乗りはしゃぐ幼い子供。埃を被ったようなガラクタのように汚い馬に乗り、こちらに手を振っている。明るい太陽がキラキラと彼の姿を浮かび上がらせる。私も手を振りかえし、イーサンの隣に座った。  パパはヘミングウェイを愛読している。私はそちらに精通していないが、勿論名前だけは知っている。そして長年の調査と、幹部に上がったことにより、パパの命はこのアーネスト・ヘミングウェイにかかっていることを知った。パパの元にいる限り彼の本を読むのは必須になってくるだろう。  冷たい風がほおを貫く。昨晩の寒さよりは日が出ているぶん穏やかだがそれでも身を縮めてしまう。レオはそんなことを気にすることなく走り回り、元気だ。年齢の差を感じ、少しの溜め息が溢れ出てしまう。冷えた手をダウンジャケットのポケットに突っ込んだ。 「こんなところに来てまで仕事?」 「いや。パパに読まされるうちに好きになっただけ」  イーサンは煙草を咥えながらヘミングウェイを読んでいく。予想外な言葉に目を丸くしてしまう。こいつに文学への敬愛があったなんて。相棒の知られざる一面だった。アーネスト・ヘミングウェイの『エデンの園』を読む彼の横顔は豊かで鮮やかな表情をしている。私より遥かに文学を愛でているご様子だ。  パパは大事な指令をヘミングウェイの本で記してくる。また、今までの血生臭い大切な記録はすべてヘミングウェイの本に記載し管理していた。そこまでヘミングウェイに心酔する意味は不明だが、オッテンドルフの数列を利用して暗号化する為に文豪の本を愛用している。パソコンやUSBメモリーより遥かにアナログな管理方法は今まで流出したことはない。  ヘミングウェイとオッテンドルフの数列はパパのすべて。パパの言葉がそっくりそのままそこに存在している。誰かに言質を取られることもないく、()が指示したという明確な証拠もない。ただの数列だ。暗号化されたそれがいつ誰の手に渡ってもパパは守られる。 「意外…って顔すんなよ」 「いや。意外って言葉以外になにがあんの? あんたがヘミングウェイ? 雹でも降る?」 「は?」  ここにきて彼の知らない一面を知り、なんだか名残惜しくなってくる。終わりの見えている日常は儚く美しい。 「なぁ? さっきの話終わったわけじゃないからな」 「……ウザいなぁ。なんの話かわからないって言ってんのにしつこいよ」 「愛している、って言葉がわかんねぇほど、おまえは馬鹿なのか?」  ヘミングウェイはどんな詩的な言葉で愛を囁き、愛を捧げたのだろうか。こんな直球で乱暴で終わりの見える言葉だったのだろうか。 「答えを聞いていない。愛しているという俺の言葉へのおまえの回答を」  愛していると言えば終わりのような気がした。終わりが見えているからこそ、言いたくない。今この瞬間が永遠になればいい。永遠になって。そしたら、他には何も要らない。 「イーサン! ジェラート買って!」  遠くでレオの声が聞こえた。    イーサンの言う愛しているは、私にとって暴力以外のなにものでもなかった。
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