─Bye Bye Blackbird

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「痛かった……」 「は?」  素直な感想を呟けば、私の後ろにいる男は低過ぎる冷徹で不機嫌な音を吐き出した。意味深に取られるように言ったのだから、この反応は気分がいい。私は人肌より若干ぬるい湯に手を差し込み、自身の恥骨に触れる。座り方の癖のおかげか、左側より出っ張っている右側の骨。 「また噛んだ」 「……噛まれるの好きだろ」  責任転嫁。またそうやって話をすり替える。こいつと肌を重ねると私は噛み痕だらけになる。レオが見たら驚愕するだろうからやめて欲しいが、のらりくらりとこうして誤魔化されてしまう。 「都合の良いように解釈すんな。クズ野郎」 「悩ましげに眉を寄せ、下唇を噛む。息の仕方を忘れて必死に息継ぎする。んなの、そう思うだろ? あの顔は滑稽で腰にクる」  そしていつものように誤魔化しに誤魔化しを重ね、肩にキスをされる。甘やかし過ぎた。失敗だったと心底思う。私の口からは浅いため息が溢れた。私のそのため気が気に入らないのか、イーサンに耳朶を噛まれてしまう。そのまま耳の穴をこじ開けるように舐め上げられ、差し込まれた。湿った吐息が鼓膜を犯す。ピアスホールさえ、こいつにとっては()らしく舌先で弄くり回され遊ばれる。 「ん、っ…」  イーサンとの身体の相性はとてもいい。相棒としてバディを組んでもう何年か経つだろう。残虐な任務の後に昂ぶった気持ちを抑えるため荒々しく交わったことがある。それからこいつとはこの関係性が続いていた。彼は接近戦。私は後方支援の狙撃手。銃ももちろんだが、肉体戦もこなせる彼はリズム感が巧みだった。  生きるため、生かすため、生を司る性行為は肉弾戦と似ているらしい。セックスは殺し合いだ。行為後に殺す昆虫もいると聞く、行為中に殺してしまうという動物もいるだろう。……イーサンに喉元噛みちぎられ、食い殺されるのはあまりいい気がしない。それでもそうされてもいいかもしれない、という相反する想いがある。  そんな、背後にいる男との艶のある行為を思い出せば必然的に先程のことがフラッシュバックしてくる。緩急のある腰使いで私のナカを掻き回し、乱す。肌のぶつかる音と蛇のように這い回る舌、卑猥な水音。愛おしむ人と作る空間。何ミリにも満たないその空間に落とされる甘い言葉。シーツを握り締め、もがくように互いの手を握り潰す。 「別にぃ、いいんだけどさ。拒めない私にも非はあるんだから。……けどさ、せめてライフルを自室に置くまでは我慢できない?」 「人を殺した後のおまえがいいんだよ」 「うっわー。悪趣味……。引く」  言葉とは裏腹にくすりと笑えてしまい、私の下腹部に回されたイーサンの腕を撫でる。私がつけた歯形が痛々しく残っていた。毛の生えた腕を撫でると水泡が水面に浮き上がってくる。  白いバスタブの中。そろそろ朝食が欲しくなってくる頃。窓から差し込む朝日。帰りの車から見えた光より穏やかなそれが、私の肌を曝け出す。 「ノックノック」 「急になに?」 「いいから。knock knock」  下腹部、子宮の上を軽く叩くイーサン。ノックノックジョークが飛び出し、また私はため息を吐いてしまった。ま、ピロートークのつもりなのかもしれない。この後に甘い口説きが重なるのだろう。 「誰ですか?」 「おまえは誰?」  予想とは違い、ノックノックジョークの定型にならない言葉が頭上から降ってくる。首を傾げた。 「ノックノック?」  振り向けば意味深な瞳でこちらを見つめるイーサンがいた。朝日によって青色が混ざったグレー色の瞳。間髪入れず囁かれたそのノックノックに、数秒置いて意味が分かってきた。穏やかな時間がじわじわと失われていく。不穏な雰囲気が肌を撫でる。 「……急になに?」 「おまえ、そろそろ忽然と姿を消しそうな気がしてな。今言っとこうと思ったんだよ」  knock knockではなくnoc noc。  Non Official Cover(非公式諜報員)の意味だろう。 「くだらないを通り越して笑える」 「じゃー、もう一度。knock knock」 「……Who’s there?(誰ですか?)」 「Orange.(オレンジ)」 「Orange who?(オレンジ? 誰?)」 「Orange you going (中にいれてく) to let me in?(れないのか?)」  普段ならジョークに意味など求めないが、Non Official Coverを出されてはこのジョークもなにか裏があるのではと勘繰ってしまう。  中に入れてくれないのか? 「仲間に入れろよ」 「……さっきから意味がわからない。あんたと私は仲間でしょ? 相棒だと思っていたのは私だけ?」 「その言葉、そっくりそのまま返す。俺はおまえに一度だって嘘はついたことがねぇ」  眉目の良い顔がスッと温度を無くす。甘美なひとときがその顔付きで消滅した。この顔はよく見るのは、任務中だ。拳銃を躊躇なく人間に向け、鉛を身体に突き刺す瞬間。まさに今、この瞬間。何発か撃ち込む必要のある接近戦より、一撃で他者の動きを止める後方、スナイパーのような鋭い攻撃だ。   「イーサン……?」 「愛しているよ、ジル」  意味を汲み取れない、心底あなたの言っていることが分からない。という態度を作り出さなければいけない。それでも熱を孕んだ双眸で見つめられれば、唾液が溢れる。ごくん、思わず生唾を飲み込んだ。はじめて言われた。欲望抜きの愛している、を。  私の仕事は他者よりどれだけ先を見通せるか。先手を取れるか。先へ、先へ。シェパードよりハウンドとしてどれだけ任務をこなせるか。これだけは見通せなかった。 「ジル! 見つけた!!」  元気ある明るい声に救われる。
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