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スナイパーはある意味で神のような存在になれる。遥か彼方から対象物をスコープで覗き込み、生死をその掌に委ねる。
だから私はスナイパーになった。人間臭い、血生臭い接近戦が好きじゃないから。相手の息遣い、考え方の特徴、次の一手、すべてが丸裸にされる肉弾戦が嫌い。
いま、このイーサンとの戦いは彼が上手だろう。場を支配している。
その戦いも、彼、レオの登場で中断だ。
「ジル!! きのうどこ行っていたの?! なんでいなかったの?」
「お仕事だったの。ごめんね」
パジャマ姿にテディベアを抱えたレオが、目を怒りに染めて私を責め立てる。8歳になった彼の瞳はオリーブ色。歩くたびにふわっと揺れるプラチナブロンドの髪の毛はおひさまの匂いがする。そんな愛おしい彼が、私とイーサンが体を寄せ合うバスタブの前で、ぷんすかと怒り狂っていた。
「しかも、なんで、ぼくを放ってふたりでおふろに入っているの? ぼくは仲間外れ? それってすっごくひどいよ」
「残念だったな、レオ。ジルは俺のことが好きなんだ」
火に油を注ぐようなことを、にししと笑いながら言うイーサン。私は彼の胸板をぱしん、と叩きバスタオルをひったくる。
「イーサン、レオが寂しくないようにしてって頼んだでしょ?」
「あのなぁ……レオはおまえのことになると頭に血がのぼって発狂するんだ。無理だね。おまえを失ったレオを相手にするなら、三合会を相手にしたほうがマシだろうな」
今にもバスタブに入ってやる、と言いそうなレオに急いで身体を拭き、バスマットの上に足を置いた。よかった、レオに会う前に硝煙の匂いを消せて。水滴が無くなった手で彼の頭を優しく撫でる。
「パパがどうしても私を必要としていたの。だから、許して」
「……パパなら仕方がないね。でもさみしかった」
身体に巻き付けたバスタオル。その下には無数の傷痕がある。撃ち抜かれた時の傷、火傷、刃物が刺さったもの。接近戦が好きではないからこそ負う傷だ。それをいとも簡単に愛してくれるレオ。寂しかった、という言葉と共にぎゅっ、と身体を包み込まれる。ハグされる身体に、私もレオの小さい背中に手を回す。
「ほめて。きのうのドイツ語のテスト満点だったんだよ! しかもジルがいなくても夜ひとりでねられたよ」
「それは偉いわね。頑張った」
私とのハグに気を良くしたのか、レオはいつもの可愛らしい笑みを携える。神様からのギフト、両ほほに浮き出るえくぼに指を添えて、彼を甘やかす。ハグをしたおかげで少しだけ、彼の髪の毛が濡れてしまった。ほおに張り付いたブロンドの束をそっと取り除く。
「……クソガキ。おまえのせいでジルがおまえの使用人になっちまったじゃねぇか」
「ぼくからジルをうばうからバチが当たったんだよ。イーサンのばぁか!」
レオの前で汚い言葉を使うな、とイーサンに言おうとしたらもう手遅れだった。どっちもどっちの言い合いに頭を抱える。
「はっ。やんのか、ガキ。昨日寝れたとか言ってたの嘘だつぅのバラすぞ。ジルぅ! って泣き叫んだくせに」
「…っ、! イーサンだいっきらい!」
顔を真っ赤にさせたレオがきぃーっと歯を食い縛りイーサンを睨み付ける。大人気ないイーサンを諭すか、はたまたレオを慰めるかどちらかにしようとした時だ。
──knock knock
扉がノックされた。
聖域が汚された。現れた人物によって私の思考回路がそう警告を始めた。
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