届かなかった手の向こう

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 ***  今も昔も変わらない、一つの大きな問題。それは、子ども達のいじめの問題である。  大人達であっても情けないいじめを行って人を傷つけ、それでいて自分は悪くないなどと平然とのたまう輩も少なくはない。大人がそんなザマ(しかも教師が教師をいじめたりするのだからどうしようもない)では、子ども達に健全な教育が行き届く筈もないだろう。  ましてや、いじめというものは発生を防ぐことは非常に難しい。何十人もの子ども達が、一つの教室の中で勉学と秩序を学ぶ空間。性別もあるし、個性もある。成長の度合いもあるし、障害を持っている子もいるだろう。そんな子ども達がいっしょにまとめられたら、そりゃぶつかりあって喧嘩をしたり問題になったりするのも仕方ないことであるに違いない。  私もまた、小学校の時はいじめを受けていたクチだった。  世間のいじめは“殴られる”とか、“ものを隠したり壊されたりする”という行為がなければいじめと認定されづらいところがあるが。今でもあれは、立派ないじめだったと私自身は思っている。こそこそと陰口を言われて、班活動においては仲間外れにされて。席替えで私の席の隣になると、それだけでみんなが“あんな人の隣になるなんてかわいそう”と該当者を露骨に慰めるような状況。  学校に行きたくなかった。  でも当時は、学校に行かずに不登校になってもいい、逃げてもいいと言ってくれる人さえ誰もいなかった。  よくよく考えてみれば、なんでいじめてる側が何事もなく教育を受けさせて貰えて、いじめられた人間が学校からいなくならなくちゃいけないのかわからないが。それはそれとして、逃げることさえ許されず、学校に通い続けなければいけない日々は私にとって苦行以外の何者でもなかったのである。  もし、六年生の時のあの先生に出逢えなかったら。私は本当に、小学生時代のほとんどを暗黒のまま、友達の作り方もわからないまま過ごしていたのかもしれなかった。 ――人は、一人じゃまず変われない。誰かと出逢って、誰かに救われてやっと変わることができる。……私も誰かにとっての、そんな救世主になれたら。  ゆえに。私は大人になってからもずっと、少しでも子ども達の支えになれる仕事がしたいと考えきたのである。  大学を卒業すると、私は子供達を助ける特定非営利活動法人のセンターに就職し、毎日子ども達の相談に乗る仕事をするようになったのだった。電話での仕事も受け付けているが、最近はメールでの相談が非常に多い。例の感染症で家に籠るようになり、ストレスをため込んでいる子ども達が増えているというのもあるだろう。  それこそ、家族仲が悪ければ、普段仕事に出ているはずの家族が家でテレワークをしているだけで揉めてしまうこともある。上手に距離を取ることができない状況、というのはそれだけでしんどい事態を招きかねないのだ。  そんなある日。私の元に舞い込んだ、奇妙なメール。
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