火遊びは遠慮します

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 仕事帰りに寄ったイタリアンレストラン。 「ごめん綾!旦那風邪引いたみたいで……」  電話が鳴って席を外していた先輩のサキさんが、申し訳なさそうに眉を下げながら戻ってきた。  ちょうど二本目のワインが到着した時だった。 「あ、いいですよ。帰ってあげて下さい!私、もう少しゆっくり飲んでます」  笑って手を振ると、先輩はほっとしたように微笑み伝票を手にした。 「ありがと!じゃあお詫びにお会計しとくから」 「いいですって。明日ゆっくり割り勘しましょう」 「でも、」 「ほら、早く行ってあげて。ここら辺タクシーつかまえるのも時間かかりますから」 「ありがとー!」  サキさんは涙目で私を抱き締め、とりあえず、と五千円札をテーブルに置いて帰った。  律儀な人だなぁと感心しながら見送り、手酌でグラスに赤ワインを注いで一口飲む。  しかし、旦那さんが心配で慌てて家に帰るなんて、サキさんは素敵な奥さんだ。  さすが新婚。  思わず声に出しそうになりながら、再びグラスに口をつけた。  酔った勢いでこんな思考をしているけれど、そりゃ、私だって結婚に興味がないわけではない。  というか、交際はいらないから結婚がしたいくらいだ。  無駄な駆け引きやときめきなんていらない。  たった一人、生涯私のことだけを誠実に思ってくれる人がいるならば。  そう、お色気たっぷりでもなく、遊び人でもない私を。  そんなふうに思ったそばから、少し離れた向かい側のテーブルで一人食事をしている男性と目が合った。  自分よりは少し年上、20代後半と言ったところかな。  若いのに落ち着いた雰囲気を纏い、いかにもこなれている感じだ。  仕事も、女性関係も。  私に向かって小さく微笑んだ男。  反吐が出そうになって、すぐに視線をそらした。  ほらまただ。  あの人もきっと誘ってくる。  本命ではなくて、一夜限りの遊びとして。 「わ!すみません!」 「え?」   気が散ってしまい反応が遅れたせいかもしれない。  隣のテーブルにサジェストしていた店員さんの腕が私のワインボトルに当たり、そのまま盛大に倒れ、テーブルは真っ赤な海と化した。 「大丈夫ですか!?申し訳ありません!」  慌てて店員さんがナフキンで拭おうとしてくれるも、時既に遅しで、私のベージュのワンピースには大きな赤い染みが滲んでいた。 「ごめんなさい!クリーニングを」 「ああ、大丈夫ですよ。これ、着古したものなので。気にしないで下さい」  とは言えこのまま飲んでいるのも気まずいし、少ししたらすぐに帰るか。  ふと目線を上げると、先ほどの男の姿はなかった。  何故か胸を撫で下ろす。  面倒なことにならないで済んだので、逆にこれで良かったのかもしれない。  綺麗にしてもらったテーブルで、グラスに残っていたワインを飲み干すと立ち上がった。  その時。 「大丈夫でしたか」  心地良い低めの声に驚き振り向くと、そこには先ほどの男が小さな紙袋を手にして立っている。 「あの……?」 「もし良かったら、これ使ってください。では」  男は艶々した黒の紙袋をテーブルに置くと、すぐに去って行ってしまった。  
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