婚約者

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 怪我をした御者の代わりに、リトが御者席に座る。 「道なりにまっすぐ進めばすぐ帝都ですから」  馬を扱ったことが無いというリトに懸念を示したダリオに微笑むと、エリカは身軽に馬車の屋根によじ登り、リトの横に座った。 「……怪我は、無い?」  馬車が動き始めてすぐ、もう一度、リトが、確かめるようにエリカの右手に触れる。しかし今度はすぐに、リトはエリカから身を離した。心が、捩れるように痛む。やはりリトは、エリカのことをやっかいな婚約者だと思っているのだろうか? エリカの悲しさは、しかしすぐに晴れた。 「……す、済まない」  俯いたリトの、耳まで真っ赤にした横顔に、驚く。 「と、砦は、男所帯だったから、その、女の子、には、どう接したら良いのか分からなくて、その」  馬車を操ろうとぎこちなく腕を動かしたリトが、少しだけエリカの方をみる。もう一度、エリカの右手に重ねられたリトの左手は、小さく、そして手袋を付けていても分かるほど固かった。『黒剣隊』の隊長だったのだから当然だとしても、この手は、美人の顔からは想像もつかない、荒れた手だ。それでも、どこか、温かい。右手の上に重ねられたままのリトの左手に、エリカは自分の左手をそっと重ねた。 「一つだけ、聞いていい?」  そのエリカの耳に、前を向いて慎重に馬車を御すリトの声が響く。 「弓は、どこで?」 「西の街の警備隊に混じって」  エリカの答えに、リトは驚いた横顔をエリカに見せた。  平原に跋扈する魔物から人々を守る『黒剣隊』。その長と婚約を結んだと母から告げられる前から、『黒剣隊』はエリカの憧れだった。いつか平原に赴き、『黒剣隊』の一員になりたい。その想いから、エリカは母やダリオの目を盗んでは、街の男の子たちに混じって弓や短剣の稽古を受けた。武術を習うのは、お転婆だと言われ続けていたエリカの性に合っていた。女子に剣は扱えないと言っていた街の警備隊所属の武術の師匠は、剣の技まではエリカに教えてくれなかったが、それでも、エリカが弓と短剣を操る技を習得するのを許してくれた。 「そうか」  再び前を向いて馬車を操るリトの横顔が、微笑む。無言のまま、強く握られた手が感じる温かさに、エリカは戸惑いながらも小さな笑みを零した。
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