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全力で取り組んだ期末テストはたぶん今までで一番良い結果を出せたと思う。順位は発表されなかったけど、全教科平均点より高かったし、いい線はいってるんじゃないかと思った。あとは高等部からの入学組の成績次第である。
卒業式はつつがなくあっさりと執り行われた。大半の生徒はそのまま高等部に進むのだから、まあこんなものだと思う。
むしろ卒業式が終わってからの方が盛り上がった。弘康は空手部の後輩たちに胴上げされていた。これは空手部の伝統なのだと聞いた事がある。僕と美波は華道部の後輩から花冠を被せられた。例年なら花束なのでびっくりした。
薫は、僕たちが花冠を被せられて驚いている間に後輩や卒業生の女子たちに取り囲まれてしまっていた。
美波が「記念撮影をしましょ」と言って中庭に出て来た時から、ずっと視線を感じていた。こうなる事は予想していたけれど、ほんのさっきまで隣にいた薫が手の届かない遠くに行ってしまった感じがして、僕は肩にかけたカバンの持ち手をぎゅっと握った。
カバンの中には薫の制服のネクタイが入っていた。
中庭についた時、美波が僕に「記念にクラスバッジちょうだい」と言って、その後薫と弘康からもバッジを受け取っていた。その時、薫の手から美波の白い小さな手のひらにクラスバッジがコロリとのせられる様が、スローモーションのように見えた。
僕は薫の指先から視線を辿らせて、整ったその顔を見上げた。
「僕はネクタイがいい」
口をついて出た言葉に、僕自身も驚いた。
薫も驚いた顔をしていた。でもすぐに微笑んで、
「じゃあ、お前のと交換な」
と言った。
そして僕たちは共にネクタイを外そうとして、美波に「ダメ!写真撮るまで待って!」と言われて、2人で顔を見合わせて笑った。
その薫のネクタイは今、僕の洋服ダンスに掛かっている。昭和初期に造られた年代物のそれは、やっぱりクローゼットではなくて洋服ダンス、だと思う。その扉の内側の真鍮製のバーに薫のネクタイは掛けてあった。
今日はこの後入学式だから、そろそろ着替えないといけない。
そう思ってタンスの扉を開けた。
そこには真新しい制服が掛かっている。とはいえ、高等部の制服と中等部の制服は同じデザインである。違うのはネクタイとリボンのラインの色だけ。紺色に、中等部は水色、高等部はシルバーのストライプである。
見た目の違いはそれだけだけど、実はもう一つ違いがある。中等部のネクタイは普通の結ぶネクタイの他に、襟で隠れる所はゴムでできていて結ばなくていい物があった。僕はその結ばない方を使っていた。でも高等部では結ぶネクタイ一択である。
ネクタイ、上手く結べないんだよね。
僕の高等部のネクタイと並んで、薫の中等部のネクタイが掛かっている。薫は中等部から普通のネクタイを使っていた。それでなくても、薫は家の仕事の手伝いなどでよくスーツを着ているのでネクタイはお手の物なのだ。一方僕はと言えば、母の好みでスーツの時はもっぱらリボンタイかボウタイだったので、ネクタイは苦手なのだった。
着物なら余裕で着られるんだけど。
デザインは同じだけれど、たいていの生徒は高等部への進級を機に制服を新調する。僕たちも進級が決まってから4人で制服を作りに行った。
洋服ダンスの中には、中等部の制服もまだ掛けてあった。美波にあげたクラスバッジと、後輩にあげたボタンが一つ欠けた僕の制服。
卒業式にボタンをもらうという文化は、もうずいぶん廃れてきたそうだけれど、ウチの学園にはまだそのレトロな風習は残っていた。
そしてあの日。卒業式の日。
やっと女の子たちの波から抜けてきた薫は、シャツのボタンまで全部全部無くなってて、改めて薫の人気を思い知った。
まあ、解ってた事ではあるんだけど。
僕はふるふると頭を振った。
なぜだか落ちかけた気分を立て直す。
美波や弘康も何個もボタンが無くなってた。この僕だって一個はボタンがもらわれていってるんだから、卒業式の独特な空気感によるものもあるんだと思う。
ピシッとアイロンのかかったシャツに袖を通す。
ズボンを履き替えて、まだ身体に沿おうとしないベルトを締めた。
古い廊下が鳴って、誰かが部屋の前で止まった。
「裕那、入ってもいいか?」
襖の外から薫の声がした。
「あ、うん。大丈夫」
ちょうど薫の事を考えていたからドキリとした。
するすると襖が開いて、高等部の制服を着た薫が部屋に入ってきた。やけに大人っぽく見えて、なかなか動悸が収まらない。
「ごめん薫。もうちょっと待ってて」
僕は平静を装いつつ、鏡の前でシャツの襟を立ててネクタイを結び始めた。左右の長さをずらして結んでみたけれど、下の方が長くなってしまったのでやり直し。
一度ほどいて、ネクタイの長さを調整していると、薫が僕の後ろに立った。
「左右の長さは、これぐらい」
僕の背後から覆い被さるようにして、薫がネクタイの長さを示してくれる。
耳のすぐそばで聞こえる薫の声。
僕は思わず息を止めた。
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