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「で、この長い方をこうして…」  薫の大きな手が、器用にネクタイを結んでいく。ゆっくりと丁寧に説明してくれているのに、どうしてだろう、全然頭に入ってこない。  耳から熱くなってますます胸がドキドキする。 「最後に少し整えて、これで出来上がりだ」  そう言って、薫が僕の両肩に手をかけた。僕はどんどん身体が熱くなっている気がして、それが薫に気付かれるんじゃないかと思い、気が気じゃなかった。 「あ、ありがと、薫」  どうにかそう言って、結んでもらったネクタイを上から見て、それからやっと鏡を見た。薫の手が僕の肩から離れていくのが見えた。身体の熱に気付かれたらどうしようと思っているのに、同時にその手に触れていてほしいと思った。  僕はどうかしてる。  チラリと盗み見た薫は腕時計を見ていた。  未だどくどくと早鐘を打っている心臓を落ち着かせようと、薫に気付かれないように深呼吸をした。でもそんな事ですぐに収まってなどくれない。自分の身体なのに僕の心臓は全然僕の思い通りにならない。  僕はどうなっちゃったんだろう。  唇を噛んで、あたふたとしながらハンガーに掛かっているブレザーを取ろうとした。妙にふわふわして、手が滑ってブレザーが床に落ちた。慌てて手を伸ばしたけど、僕より先に薫がブレザーを拾い上げ、 「ほら、裕那」  と、着せ掛けてくれる。  今まで何度も何度も何度も、数えきれないほどしてもらった事なのに、やたら恥ずかしかった。  でも嬉しかった。  嬉しかったけど顔を見られるのは恥ずかしかったから、前髪で隠れるように俯いていた。たぶん、いや確実に頬が赤い。 「裕那、クラス分け、教えてやろうか?」 「え?!」  思いがけない薫の言葉に、反射的に顔を上げてしまった。薫は少し驚いたように僕を見て、そして綺麗に微笑んだ。 「あ、そっか。薫、昨日学校で聞いてきたの?」 「そういうこと」  昨日薫は入学式の打ち合わせのために学園に行っていた。新入生代表で挨拶をするのだ。つまりは首席だった訳だけれど、それは特に驚くような事じゃなかった。  僕の試験の結果が良かったように、薫の結果もオソロシく良かったのだ。「人に教えると理解度が上がるからな。オレの成績が良かったのはある意味裕那のおかげだな」薫はそう言って笑った。 「でも薫、昨日はそんな事言ってなかったじゃん」 「そりゃあ一応口止めされてるからな」  ニヤリと笑った薫の視線がスッと僕の方に流れてきた。僕は無防備にそれを受けてしまった。再び鼓動が大きく跳ねた。 「じゃ、じゃあ言っちゃダメじゃんっ」  僕は普通を装えているだろうか。 「お前が黙ってれば平気さ。そもそも後数十分もすれば皆が知る情報だしな」  いつも通りの薫が応える。  僕だけが、なんかぐるぐるしてる。 「同じクラスだよ」 「…え?」 「オレとお前、同じクラス。聞こえてるか?」  薫が僕を覗き込みながら言った。  同じクラス。同じクラスって言ったよね?  一瞬遅れて言葉が頭に染み込んだ。 「った!やったー!ありがとう薫!」  僕は、僕を覗き込んで少し屈んだ薫に飛びついた。 「やった!やった!良かったーー!!」  テストの結果は僕史上最高だったけれど、自信があった訳じゃなかった。「いい線いってる」と思う楽観的な自分と「でもギリギリ足りないんじゃないか」と思う悲観的な自分が、入れ替わり立ち替わり現れては消えて、落ち着かない毎日だった。  ああ、よかった、よかった、よかっ 「良かったな、裕那」  薫の長い腕が、僕を抱きしめた。  おめでとう、と言われた気がする。  頭が真っ白になってよく聞こえなかった。  薫は腕をほどくと僕の頭をサラリと撫でた。 「お前の担任だった三木先生がさ、嬉しそうに「松宮くん頑張ってたもんねえ」って言って、うっかりオレにクラス表を見せたんだよ。で、見せてから、しまったって顔してさ」  そう言いながら薫は部屋を出て行く。 「だから弘康と美波のは知らない。じゃ、オレは下に降りてるから準備して来いよ。もうすぐ出る時間だ」    僕はするすると閉まる襖を、半ば呆然と見ていた。  心臓は、持久走の後のように忙しなく打ち、見なくても分かるくらい顔が紅潮しているのを感じた。うっすら涙も浮かんで、見慣れた自分の部屋が滲んで見えた。  僕はやっぱり何かおかしい。  ただのハグなのに。  嬉しい時、悲しい時、楽しい時、怖かった時も、当たり前のようにしてきた事なのに。さっきだって、嬉しくて抱きついたのは僕の方なのに。  背中に、頭に、薫の触れた感触が残ってる。  僕は薫の結んでくれたネクタイの上から胸を押さえた。  ここに心臓があるんだ、と身体が主張してくる。  その、身体からの声を、僕はどう受け取ればいいか分からなかった。
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