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「裕ちゃん!すごいじゃない!薫くんと同じ1組よ!」  学園に到着して車のドアを開けた途端、先に来ていた美波が車に飛び込んできそうな勢いで僕に言った。 「あ、うん」 「ナニ?反応薄いわね、裕ちゃん」  やや不満そうな美波を見上げる。美波は赤い唇を軽く尖らせて僕を見た。サラサラの長い黒髪が肩からこぼれ落ちる。 「そんな事ないよ、みなちゃん。びっくりしすぎただけ」  僕は嘘をついた。  嘘をつきながら、数十分前の出来事を思い出していた。  あの後、完全ではないもののどうにか顔の赤みが引いて、準備をして玄関を出ると、朝比奈家の車も車寄せに停まっていて、僕の両親と薫のお父さんの光さんとお母さんの都さんが楽しそうに話していた。薫は車のそばで何かを読んでいた。たぶん入学式の挨拶文を見返していたんだろうと思う。  出て来た僕を見つけた母が、 「あ、裕ちゃん、準備できた?じゃ、行きましょうか」  と言い、それを合図に皆車に乗り込んだ。  だから、あれから僕と薫は会話を交わしていない。  車に乗る時、ほんの少し目が合ったけれど。  僕はそれだけで体温が上がった気がした。  薫はいつも通りだった。  やっぱり僕だけがあたふたしてぐるぐるしてる。  薫の腕の感触を思い出して、僕はずっと車窓を眺めていた。  車を降りると、弘康が「よ」と手を上げてこちらに歩いて来ていた。いつもと違ってきちんとネクタイを締めている。その弘康の向こうに、校舎に向かう薫の後ろ姿が見えた。 「薫は先に行くってさ。大変だよなあ、この前卒業式で答辞読んで、今日は入学式で挨拶して。ま、似合うけど」 「答辞は前生徒会長が、挨拶は首席がすることになってるから、薫くんが会長に選ばれた時からこうなるんじゃないかと思ってたわよ、私は」  美波が「ふふん」と笑って、なぜか胸を張り、弘康はそれを見て「はいはい」と言うように頷いた。  僕は2人が喋っている間もずっと、小さくなっていく薫の後ろ姿を見ていた。  体育館に入って自分のクラスの席に座った。あいうえお順なので、僕は後ろの方だった。見知った顔の中に、ポツポツと不安そうな表情の知らない顔が混ざってる。  もう人間関係が出来上がっている場所へ1人で入って行くってどんな気持ちなんだろう。僕はまだ経験がない。僕にはずっと、薫が、美波が、弘康がいたから。    舞台下で、薫は先生方や先輩たちと何か話をしていた。先輩たちは生徒会役員だろう。僕たちが中1の時に生徒会長だった立花先輩が、薫の肩を叩きながら嬉しそうに話しかけている。  たぶん薫は生徒会に誘われてる。  高等部の生徒会選挙は確か11月だから、それまでなんだかんだと手伝いに駆り出されるんだろうなあ、今回も。中等部の時みたいに。  新入生の席が、薫の席以外全部埋まって、入学式が始まった。  校長先生や生徒会長の挨拶に続いて、薫が舞台に立った。こういう時いつも、すごいなと思う。なぜ薫はこんな大勢の前で、緊張した様子もなく落ち着いた声で話せるんだろう。僕なんかクラスでの発表だって声が上ずる。    挨拶を終え、一礼した薫が頭を上げた時、僕の方を見た気がした。  気のせいかもしれない。  気のせいだと思う。  だって僕の席は舞台から遠い。薫は目は悪くないけど、この人数の中一瞬とも言える間に僕を見つける事なんて無理だろうと思う。  それにわざわざ僕を見る必要なんてない。  式が終わって教室に入ると、黒板に仮の座席表が貼られていた。こちらもやはりあいうえお順である。薫は朝比奈だから窓際の一番前、僕は廊下に近い席だった。僕の席からは薫の後ろ姿しか見えない。 「近々席替えを予定していますが、それまではこの席順で」  と担任の藤川先生が言うと、薫の隣と後ろの席の女子がふるふると頭を振った。  まあそうだよね。なんなら1年間このままでもいいと思うよね。  見渡すと、クラスの人員は女子の方が若干多いように見えた。 「えー、まずは皆さん入学おめでとう。ご存じの通り、この1年1組は選抜クラスです。他のクラスより少し授業が難しくなりますが、今年の1組はここ数年で一番優秀な成績で入学しているので問題ないでしょう」  そう言って教室を見回した藤川先生はニヤリと笑った。 「先生方も骨のある授業ができると言って楽しみにしてましたからね。いやあ、本当に楽しみだなあ」  人の悪い笑みを浮かべながら、藤川先生は今後3日間のスケジュールや持ち物等の書かれたプリント類を大雑把に配っていく。過不足は後ろの方の席で適当に調整してくださいというやつだ。  プリントを後ろの席に回すために振り返った薫が、チラリと僕の方を見た。僕は薫の後ろ姿ばっかり見ていたから目が合ってしまった。思わず顔を伏せて、そして恐る恐る目を上げると、机に肘をついた薫が僕の方を見ていた。その目がいつものように笑っていてホッとして、また心臓がトクトクと自己主張を始める。  藤川先生が再び教壇に立ったのを合図に薫は前を向いた。僕もふっと息をつき、前を向いた。そして何となく、さっきの藤川先生の言葉を思い返した。  ここ数年で一番優秀、か。  よく入れたな、僕。  今からでも「あ、松宮。採点間違ってたからクラス変更するぞ」と言われるんじゃないかとどうにも落ち着かない。  そういえば僕は、貼り出されていたはずのクラス表を見ていなかった。
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