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 記念すべき入学1日目のホームルームが終わり、教科書が入ったずっしり重い紙袋が配られた。これを「とりあえず一回持って帰りなさい」っていうのはいったい何の意味があるんだろう。まあ、今日は車だからいいけど。 「薫くん、裕ちゃん、帰りましょー」  美波が教室の後ろの出入り口から顔を覗かせた。教室に残っていた男子生徒の視線が、その方向に一斉に流れた。視線を集めている本人は、いつも通り全く気にする様子もなく1組の教室に入って来た。カバンは持っているけれど、紙袋は持っていない。 「みなちゃん教科書は?」 「え?ああ、それなら」  美波はくるりと廊下側を向いた。さっき美波が入って来た出入り口に弘康が立っていた。その手には紙袋が二つ。 「教室出たら、ちょうど弘くんがいたから持ってもらってるの」  当然、という顔で言った美波を、弘康は苦笑して見ていた。こちらに歩いて来ている薫も、同じような表情をしていた。僕たちは美波に弱い。    薫が来たところで、僕たちは重たい紙袋を下げて教室を出た。前を行く弘康はその紙袋を二つ持っているとは思えない、ごく普通の様子である。  僕はといえば、明らかに斜めに傾いた姿勢で歩いている。ふと、先日電車で弘康に「鍛えろ」と言われたのを思い出した。 「ねぇねぇ裕ちゃんさ」  身軽な美波が僕の顔を覗き込んでくる。 「もしかして、おじさまの会社の方を継ぐことになったの?」 「え?」 「だって1組目指してすごい勉強してたじゃない?だから、あやめ先生の跡じゃなくて、会社の方になったから、今までより勉強しないといけなくなったのかなーって」  大きな瞳をくるくるさせながら、興味津々という顔で美波が訊いてくる。 「ううん。別にそういう訳じゃないけど…。てゆーか、まだ何も決まってないし」  僕は美波のいる右手側に持っていた紙袋を、よいしょと左手側に持ち替えた。すると横からスッと攫うように紙袋が僕の手を離れた。ふわっと身体が軽くなる。  こんな事をするのは1人しかいない。  僕は見慣れたその背を目で追った。  今日は薫の後ろ姿ばっかり見てる気がする。  僕たちを追い越した薫は前を歩いていた弘康に何か話しかけている。2人とも教科書の入った重たい紙袋を二つも持っているとは思えない足取りである。さすが、小さい頃から道場で鍛えてる人たちは違う。 「きっと2人にはいい筋トレになってるわ」  美波がふふっと笑って言う。 「聞こえてるぞ」   振り返った弘康がにやりと笑って言った。美波は「やだ、弘くんこわーい」とクスクス笑いながら言って、僕の腕に腕を絡めた。  薫はそんな僕たちをチラリと見て、再び歩き出した。  腕を組んで歩く僕たちを「いつもの事」と見る友人たちの間を、これから友人になるであろう新入生が、遠慮がちに、けれども興味深げな視線を投げかけながら通り過ぎて行く。  同じくらいの目線の美波が、その大きな瞳を僕に向けた。 「じゃあ何で1組に入りたかったの?」 「ああ、それは…」  薫と同じクラスになりたかったから。  そう、美波に告げる事が躊躇われた。 「それは?」  小首を傾げる可憐な幼馴染みに、どう答えればいいか逡巡する。 「…自分への挑戦?」 「何で疑問系?」  不満げな美波を「まあいいじゃん」と笑って誤魔化して、まだ何か言いたそうにしている様子に気付かないふりをした。  腕を組んだまま階段を降り玄関に着くと、薫と弘康が待っていてくれた。玄関の外には和装洋装半々の、4人の母たちが談笑していた。その向こうに、朝比奈家の車が到着したのが見えた。  四家の車が並んで停まって、それぞれ「じゃあまた」と手を振って乗り込んでいく。後部座席のドアを開けると薫が紙袋を奥の座席に置いた。結局ここまでずっと持ってもらってしまった。 「あ、ありがと。薫」  僕は薫を見上げて礼を言った。妙に照れくさい。  薫はふわりと微笑んで首を横に振った。 「いつもの事だろ。気にするな」  その笑顔にドキリとした。  同時に、それが顔に出ていないかが気になった。 「ああそうだ、裕那。また明日から同じ時間に迎えに行くから。いいよな?」 「う、うん。もちろん」  わずかに声が上ずった。それに気付かなかったとは思えないけれど、薫は何も言わなかった。ただ「じゃあな」と手を振って朝比奈家の車へ向かった。  明日からまた、薫が迎えに来てくれる。  車に乗り込みながら、思わず顔が綻んだ。  薫に結んでもらったネクタイに手を当てる。  このまま緩めて外して、明日また締めればいいか。  上手くできるか分からないし、せっかく結んでもらったし。  ネクタイに触れると、結んでもらった時の事をまざまざと思い出した。  とくんとくんと胸が鳴る。  その時、ポケットの中でスマホが震えた。取り出して画面を見ると薫からだった。  ーーネクタイは結びっぱなしにしないこと。歪んでシワになるぞ。  なんで分かったんだろ。  思わず目を見開いて画面を凝視した。すると再びスマホが震えて、次のメッセージが届いた。  ーー上手く結べるようになるまで、何度でも教えてやるよ。    何度でも。  唇を噛んで、画面を見入った。  とくとく、とくとくと胸は早鐘を打ち始めた。  背中が、薫の温もりを思い出す。  僕はもう、この身体が送ってくる信号が、それに伴う感情が何なのか、薄々気付いている。  ただそれを、はっきりと言葉にするのが怖くて目を逸らしているのだ。  でもそうやって自分は誤魔化せても、薫に隠し通す事はできるだろうか。  いや、でも。  さすがの薫でも、同性の幼馴染みが自分にそんな感情を抱いているとは思ってもいないだろう。少なくとも今は。  思っていたらこんなメッセージは送ってこないと思う。  だから。  薫の前では、いや誰の前でも、今まで通りの僕でいるのだ。  バレたら一緒にいられない。  僕の気持ちを知ったら、薫は離れていくだろう。  想像しただけで息が苦しくなる。    信号が、青から黄色に変わる。前を走っていた朝比奈家の車が遠ざかる。  僕の乗る松宮家の車はスピードを落として停まった。  小さくなっていく朝比奈家の車。  僕は目を逸らして頭を振った。  そして、手に持ったままだったスマホに目を落とした。  返事、送らなきゃ。  今まで通りの、なんて事ない返事を。  そう思えば思うほど、どう打てばいいか分からなくなって、僕は過去の自分に答えを求め、画面に指を滑らせていた。
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