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思いがけないその言葉に僕は美波を凝視した。
「あ、でもね、裕ちゃん。あやめ先生のお教室は続けるから。お花も好きだけど、写真も好きだから、ね?」
「……そっかあ……」
僕は当然美波は高等部でも僕と一緒に華道部に入ると思っていたから、少し呆然として目の前の食べかけのいちごタルトを眺めた。
ふいに背中をぽんぽんと優しくたたかれた。
それは幼い頃から繰り返し、僕が落ち込んだり悲しんだりしている時に薫がしてくれる励ましの動作。薫にそうされると、不思議といつも僕の心は落ち着いた。
視線を上げると、美波が心配そうな表情で僕を見ていた。
「ごめんね、裕ちゃん。びっくりさせちゃった?」
「…ちょっとね。でも、もう平気。そうだよね、みなちゃん写真も好きだもんね。卒業式の日の写真もキレイに撮れてたし」
僕はそう言って、申し訳なさそうにしている美波に笑いかけた。美波はそんな僕を見てホッとした顔をした。
隣から薫のため息が聞こえた。
心配してくれたのかな。
「写真部はユルい部みたいだったから、華道部と兼部もできるんじゃないか?」
薫が僕の背に手を添えたまま、美波にそう提案した。
背中が温かくて少し鼓動が早くなる。
僕は皆に気付かれないように静かに深呼吸をした。
「うーん、そうねー。でも、とりあえずしばらくは写真部一本でいこうかなー」
美波が顎に指をかけながら言うと弘康が、
「部活紹介で見た華道部のメンツ、皆見覚えあったし、裕那1人でも大丈夫だろ?てゆーか、他にも1年で知ってるやつ入るだろうし」
と言ってニカっと笑った。
弘康のその言葉は確かにその通りで、ただ僕はその中の一部が心に引っかかった。
裕那1人でも大丈夫だろ?
この言葉を、別の場面で薫に言われたらと思ってゾッとした。
手の力が抜けて、うっかりフォークを落としてしまった。
足元で、カランという渇いた音がした。
「どうした?裕那」
薫が僕の方を見ている。僕は顔を上げずに「なんでもない」と頭を振った。
薫は何も言わずに、僕の落としたフォークを拾うと新しいものと交換してきてくれた。
「ありがと、薫。ごめんね、手が滑っちゃった」
僕は笑顔を作って顔を上げた。
「そうだよね、ヒロの言う通りだよね。知ってる人ばっかりだし、大丈夫」
そう言った僕に弘康が「うんうん」と頷いた。美波も同じように笑っていた。
薫の顔はちゃんとは見れなかった。
もしも、もしも、もしも……。
そう思って怖くて、僕はその思いを消し去ろうといちごのタルトにフォークを突き刺した。刺されたいちごの果肉からは赤い果汁がたらりと垂れた。
美波と弘康の他愛ないお喋りが耳を掠めていく。
口に運んだタルトは、なぜだかやたらと酸っぱかった。
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