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「亡くなったのは、その人の不注意と不運が重なったからじゃないですか」
敷(しき)実(み)あやは不満そうに言っている。
「だから、祟りだとか言ったら、その人もいい迷惑ですよ」
「敷実さんて、結構現実的だな」
六八円のおにぎりをかじりながら、前野(まえの)智史(さとし)は呟いた。
彼女はぎょっとしたようにこちらを振り向いた。ふんわりとしたショートの髪が揺れる。
前野が女に声をかけると、なぜか緊張されることが多い。そんなに第一印象がとっつきにくいのだろうか。
「ごめん、勝手に聞いちゃって」
とりあえず謝っておく。この店の休憩室は狭い。隣のテーブルで食べているグループの会話はまる聞こえだ。
「変ですか?もしかして、あたし」
敷実は心配そうに声を上げた。
「いや?別に変とかじゃないけど」
こういう話題には、下手に水を差さず、おとなしく乗っておくのが、女社会のお約束なのかと思っていた。
話題に上がっている「その人」とは、うちの会社の新店舗建設を請け負っている業者の男性社員のことだ。建築中、不幸にも、高所から落ちて亡くなったらしい。
その時衝撃で片方の目玉が飛び出てしまったようなのだが、その目玉が、犬にでも持って行かれてしまったのか、いまだにみつかっていないそうだ。
それを聞いたうちの会社の人間は、みんな口には出さずとも、思ったに違いない。「幸先悪い」と。「その人」を悼むより先にそれが本音だろう。
前野の勤務先は、食品スーパーのチェーン店だ。関東近郊に数十店舗展開している。今建設中の新店は、この県初出店で、上層部も気合が入っている。そういう位置づけのこの店で、しょっぱなから人死にが出てしまったのだから、「その人」には申し訳ないが、気分は否応なしに盛り下がった。
ただ、それだけならば、それだけのお話だったのだが。
「えー、でもー。こわくなあい?あの店、変なこといっぱい起きてるらしいよ。亡くなった人が、自分の目玉を求めて、夜中にさまよい歩くとかー、あ、お食事中に失礼しましたー」
同僚の若い女子が騒ぐ。
「え、なんで怖い……」
敷実は言いかけ、はっとしたように口をつぐんだ。
そのつぐんだタイミングが妙だったので、休憩室は一瞬静まり返ってしまった。当の敷見も続きが出ないようだ。黒目がちの大きな瞳を泳がせている。だいぶ困っているようだ。
「でもやっぱさ」
前野はとりあえず口を開いた。
「あれだよな。排水管のどこからともなく、水が漏れだしたりとか、誰もいないのにトイレのドアが開いたりとか、変なことが起きてるってのは、別の意味で気になるよな」
「あー、それはなー」
前野の指摘に、周りの男連中も同調した。「欠陥建設じゃねえの」「あそこの業者やめたほうがいいって」「わざわざこの県の業者に頼まないで、いつものとこにしときゃよかったのにな」
「そんなこと、ないですよっ。この県ではあそこは屈指のいい仕事するところなんですから」
立ち直ったらしい敷実が、必死に否定にかかる。若い女が「いい仕事をするところ」とか言うところが面白い。
「あ、そっか。敷実さん、このへんが地元だったっけ」
うちの本社は、隣の県。新店からは、車で一時間以上かかる。正社員はおおよそ本社のある県在住だが、出店地域に住む正社員もそれなりにいる。敷実はこの春入社の新入社員だ。当社がこの地域に出店攻勢をかけるのを見越して入社したのかもしれない。
対する前野は、思いきり本社に近い所に住んでいる。入社して四年、ずっと自宅から車で三十分以内の店舗に勤務していた。新店配属が決まった時は、通勤時間を考えて、少し気が重くなった。地方在住者の常として、通勤はまず、車だ。電車通勤が便利な場所に店が立つわけではないし、自宅から駅までは車で行くしかない。電車の待ち時間の長さを考えると、目的地まで車で行ってしまったほうが早い。
「いいよな、新店まで、どのくらいで行けるの?」
「近いですよ、車で五分くらい」
その言葉に同僚たちがうらやましそうな声を上げる。
新店がオープンするまでは、新店メンバーたちは、近隣店舗で新人パート、アルバイトさんたちの教育に当たっている。今昼食をとっているこの店も、新店から車で十五分程度の所だ。
「早くオープンしてほしいです。期待されてるんですよ。あのへんスーパーなくって。しかもお年寄りが多いから、買い出しに行くの、今まで大変だったんです」
敷実は楽しそうに笑う。そして呟く。
「だから、早く目玉が見つかるといいな」
そっちのセリフは、変だろ。
前野はそう突っ込みそうになったが、他の人たちには聞こえなかったらしい。言いそびれたまま、話題は別のことに移って行った。
そのうち、何を言おうとしたのか、忘れてしまった。
何日か経っても、「その人」関係の怪談は衰えを見せなかった。
店の外周の植栽が倒れた。特に風が強かったわけでもないのに。
店の前を通りかかった幼児が、いきなり火がついたように泣き出した。
舗装したばかりの駐車場に大きなヒビが入った。
店の壁のいたる所に、泥だらけの手を押しつけられたような跡ができた。
店の入り口に烏の死骸があった。
ひとつひとつはどれも、怪談というより、欠陥工事、もしくはいたずら、偶然の類で済むようなものばかりだ。それでも、ほんの数日の間にこれだけ立て続くと気味が悪いのだろう。
オープン前にこんな話題で盛り上がっているのは、前野としてはあまり愉快なものではない。
「烏はあやしいよ。烏の死骸はなぜ見当たらないのか、ってちょっと前話題になったじゃない。死骸があんな所にあるのは、絶対あやしい」
女子従業員の意見に、敷実は苦々しそうに答えた。
「あやしいって言うか、嫌がらせっぽいよ。そんなことで騒いだら、余計犯人の思う壺だよ」
怪談のひとつひとつに、そうなんかしら否定をしてかかる。そのうち女子の間では陰で噂されるようになった。
「あやちゃんは怪談が嫌いなんだねー。かわいいね」と。女職場にしては、うちの店の従業員は皆、人がよいらしい。
その日の怪談は、「小学生が店の脇で転んだ」というとてもくだらないものだった。
「幽霊さんも失速してきたねー」
休憩室では女たちがそう言って笑っている。
「あやちゃん、よかったね」
そうからかわれた敷実は、「もう」と怒ったように言うと、弁当を片づけて休憩室を出て行った。
前野もちょうど食べ終わったところだったので、続いて休憩室を出る。最後の一口は、多少あわてて飲み込んだが。
「あれー、前野、もう行くのか」
同僚のからかうような声が聞こえた。
「買い足しだっ。ここのところ金欠で六十八円おにぎりばっか食ってるけど、やっぱ安物は満腹感がねえんだよ」
それは嘘ではない。他の理由もある、というだけだ。
ちょっと彼女と話をしてみたかった。彼女にどうこうの気があるわけではない。しかし、若い男として別に不自然なことではないだろう。
「しき……」
バックヤードの角を曲がったところで彼女に声を掛けようとした。が、ちょっとひるんだ。
敷実は、しゃがみこんで壁に額をつけていた。
「店の脇は舗装したてなのに」
何も転ぶようなものないじゃない、と呟いた。
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