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「さっきからうろちょろしやがって鬱陶しい」
しわがれた、ドスの効いた声。
「ファインダーってなんだ」
隣でガルドが耳打つ。
「価値のないものから美を見出す写真家さんのこと」
アマンダに教わった三種類の写真家のうちのひとつ。
やはりこの街は写真家への当たりが強い。
だがここで引き下がっていては、『十二の夢境』などには到底手が届くはずがない。
「私は歩く者です!イピリアン・プロセスを撮りに来ました!」
彼女の言葉が活気のない路地にこだまし、一瞬の静寂が訪れた。
「ガハハハハハハハハ!」
突然の笑い声。
驚いたメイリーの視線の先には、涙を浮かべて肩を震わせるあの老人。
「てめえら、こっちに来いや」
彼が手招きをした。
「どうする?行っても危ない気がする」
「初めて私たちの話を聞いてくれた人だもん。このチャンス無駄にはしたくない」
「分かったがいざとなったらすぐ逃げるぞ。こんなとこで料理人としての人生が終わるのだけは嫌だ」
老人にゆっくりと近づく。
彼も安楽椅子から下りてこちらに近づく。
しわと黄ばみだらけの口が再び開いた。
「で、イピリアン・プロセスを撮りに来たんだって?」
「はい、アラ湖を探しています。駆け出しの私に撮れるかどうかは分からないですけど、でも……」
「ごたごたうるせえな」
メイリーの必死の話を遮った彼は、呆れたような表情をこちらに向けた。
「街の中心のでかいくぼ地は見たか?」
「はい」
「それがアラ湖だ」
──え?
一時思考が止まった。
老人を素通りし走って店の裏手に回る。
建物が周囲を取り巻く巨大なくぼ地。
底の方はひび割れるほどに干からび、水の一滴さえ、湖の痕跡のひとつさえ見当たらない。
これがアラ湖か?
図鑑に載っていた鮮やかなコバルトブルーなのか?
この枯れた大地が、水の精霊が現れるという神秘の湖なのか?
「十二の夢境はここにはねえぞ」
背後からしわがれた声。
「ど、どういうことです?」
平成を装いきれていないガルドの問い。
「誰から聞いて、あるいは何を見てここに来た」
「景色群の図鑑を……」
素人が、と吐き捨てて、老人が店の裏手に回ってきた。
ぶっきらぼうに差し出された手にバサールで買った図鑑を恐る恐る乗せる。
「パラソル社出版の『全景』、五十年前だったら権威ある図鑑だな」
状況が掴めないメイリーの隣でガルドが息を呑んだ。
「まさか」
「昔の図鑑に載っている景色が今撮れるとは限らん。イピリアン・プロセスは過去の遺物なんだよ」
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