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「……ない」
最大限の警戒心を込めてガルドが答えた。
家にさらって身ぐるみを剥がされやしないか、それとももっと酷いことか。
この街の治安に加えて、老人の態度はあまりに敵意に満ちている。
ガルドの眼差しは敵に向かってうなる狼のそれであった。
「裏の物置にいくらか空きがある。その女が立ち直って、マングローブ・ヒルを夜中に歩く程度のことすらできねえんだったら、勝手に使え」
言うや否や老人は去ってしまった。
その場には2人だけが取り残され、他の住人たちからの痛い視線が集まった。
「とりあえず、なあメイリー、この場を動くぞ」
そのボロボロの袖を上へ引っ張ってみる。
彼女は何か呟いていた。
顔を近づけてみる。
「……バルバロス・ハイドから、出なきゃ良かったのかなぁ」
メイリーは泣いていた。
濁った涙が汚い赤土にシミをつくる。
「美しいものなんて求めちゃいけなかったのかなぁ」
後悔と自己嫌悪。
人生のほとんどを料理に捧げてきたガルドは、彼女を適切に励ます文句を持ち合わせていない。
「そんなことないって。ほら、とりあえずここを動かして宿を探そう」
メイリーを無理やり担ぐ。
落ちていた彼女の写真機を拾い上げる。
調理道具と保存食でいっぱいのザックに、人ひとり分の重さが加わった。
かろうじて歩けはするが長くは持たない。
とりあえず通りに戻り時計回りのまま進んでみる。
五分ほど歩いて見つけたのは『慈愛の宿屋』と書かれた看板がかけられた建物。
ある意味きれいに斜めに傾いた正方形。
玄関には、昨日台風があったのでなければ有り得ないほどの量の枝が散らかっている。
そして異臭。
奥では目が異様に光った老婆が待ち構えていた。
「慈愛とは、ほど遠いように感じるぞ」
ずり落ちかけていたメイリーを担ぎ直し、ここを通り過ぎる。
しかしこの判断が良くなかった。
行けども行けども"マシな"宿屋には巡り会えない。
そうこうしているうちにガルドの体力が先に限界を迎えてしまった。
メイリーはまだ動けないようだ。
「……しょうがない。良心にかけるぞ、メイリー」
意を決してガルドは最後の手段に手を伸ばした。
つまり、さきほどの老人の雑貨店に世話になることにしたのだ。
今夜のアテを聞いてきた彼に極小の良心のようなものを見たからであった。
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