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6 (瀧上 日佐人)
不思議な人だ。
そう思った。
春というには未だ寒い3月。
目の前に鮮やかに現れたその人は、そのまますんなり俺の日常の一部に溶け込んだ。
まるで、昔から俺の記憶の片隅に存在していたかのように。
αの匂いだ。
人々が行き交う中ですれ違った時、そう思った。
αの匂いなんか、意識した事なんかないのに急にそんな匂いを感じた。
αに生まれ覚醒も早かった俺は、早い内からΩの匂いを嗅ぎ取る事は出来た。
けれど、同族というのか。
同じαの匂いはわからない。
それは、大抵のαがそうだと思う。
なのに今日、ある一人のαの匂いを、俺は嗅ぎ取った。
それは単なる偶然だっただけかもしれないが、しかし必然とも言えるのかもしれないと感じた。
喧騒と人波の中、視線を感じ、匂いを感じ、振り向いて、その主を知った。
長身の、綺麗な黒曜石のような瞳の大人の男。
痩身の美しいαだった。
既視感を感じた。
何処かで、俺は彼と会っている。
彼は俺の"運命の人"だと、何故だか直感が言っていた。
けれど…。
…馬鹿らしい。
そう思い直して、頭を振る代わりに目を伏せた。
俺も彼もαだ。
運命だなんて、有り得ない。
直ぐに何事も無かったように過ぎて行くものだと思っていたその彼は、意外な事に俺に声をかけてきた。少し時間は無いかと。
俺は内心驚いた。
どういう意味なんだろう。
もしかして、男子高校生を買っている人なのか。そういう性癖の人?
そんな風には見えないけれど、実はそんな嫌らしい大人なのかと一瞬思った。
ついていったのは好奇心だ。
何かされるんでも、彼が相手なら良いかなと思っただけだ。
今考えてみたら、少し危ない発想だ。
けれど、彼に連れて行かれた先はファミレスだった。
少なくとも、俺が幼い頃には既にそこにあったのを覚えているし、なんなら俺が生まれるずっと前からあったのかもしれない、そんな古い店。
両親がそういったチェーンやフランチャイズの店を嫌いだった事もあり、入った事は無かったけれど、何故だか懐かしいような気にもなる。
彼は来た事があるようで、勝手知ったる、という風に席に座り、メニューを渡して来た。
好きなものを、と言われたので、遠慮なくオーダーした。
食事をする俺を、食い入るように見つめる視線には、気づかないふりをした。
彼が俺に、誰かを重ねていると知って、やっぱりなと思った。
亡くなった友人に似ていると言われて、済まなそうに目を伏せた彼を見た時、そんな顔を見たい訳ではないのにと思った自分に驚いた。
初めて会った相手に、俺は何を…。
神尾 一葉。
彼の名を口にしてみると、それも意外な程すんなりと唇に馴染む。
一葉…。
まさか15も上の初対面の大人を呼び捨てる程には根性が据わっていない俺は、一葉さん、と彼の事を呼ぶ事にした。
そうしたら、少し疲れたような、寂しげに微笑うその人と、俺は毎週会う事になった。
高一の頃から週2で働いていて、今日辞めたバイト代わりのバイト。
条件だけを聞けば、よく聞くパパ活とかそういったやつだろうか。飯を食う2時間を共にするだけで、1万だなんて。
割りが良いに越した事はないけれど、美味い話には裏があるものだ。
だけど、その2時間は店内限定で、どうやら一葉さんは俺とはこのファミレスの中だけの関わり合いにするつもりらしかった。
連絡先も教えない、聞かない、金曜の晩、7時から2時間。
俺が来なければ、一人で飯を食って帰るだけだと、一葉さんは笑った。
それが俺とあの人の、最初。
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