7 (瀧上 日佐人 2)

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7 (瀧上 日佐人 2)

自分が死ぬ夢を見るのは初めてじゃない。 幼い頃からずっと、俺は幾度となく臨死体験と言えるような夢を繰り返していた。 俺はごく幼い時期に本当に死にかけた事があるのだと、小学校の高学年になってから聞かされた。 当時住んでいたマンションのベランダから落ちたのだという。 2歳や3歳の頃と言えば、歩けるようになって嬉しい時期なのか、そりゃ活発に動くんだろう。 それこそ、一瞬目を離した隙に危険な事をしていて肝が冷えたなんて、子供のいる家庭では日常茶飯事じゃないかと思う。 そして、俺もそういうヤンチャ盛りの幼児だったというだけなんだろう。 俺が1歳になると育休から復職した母に代わり、家事や育児を一手に引き受けていたのは、近所の父の実家から通いで来ていた父方の祖母だった。 当時50代半ばの祖母には、起きている間中絶え間無く動き回る幼児の面倒を見続けているのは、体力的にもとても大変だった筈だ。 その証拠に、保育園に行かせてみる訳にはいかないだろうかと、父や母には何度も相談があったと言う。 だがその時、何故か強固に反対したのは母だったらしい。 家事育児を夫の母に任せっきりにしているのだから、感謝ついでに少しは負担を減らしてやる事を考えてやれよと思うんだけど、当時、Ωである祖母を、見下していた母は、祖母にきつく当たっていて、息子夫婦が働いているのに家にいる姑の負担軽減なんて…みたいな考え方をしていたらしい。 祖母が大人しい人だったのもあって、調子こいてたんだろうな。 そうしてる内に、祖母はどんどん疲弊していって、それでも何とか家事をこなしていた。疲労の溜まった体と頭で、ぼんやりとした瞬間はきっと1度や2度じゃなかった筈だ。 重ねて言うけど、祖母はΩ。 元々Ωという種は、そんなに体が強くはない。 それをわかっている上での母の祖母に対する仕打ちはハラスメントだ。 俺がベランダから落ちて生死の境を彷徨っている間、祖母は自分を責め、母も祖母を責めた。 だが祖父…母の実父に激昂され、自分達が親としての自分の責任を放棄していた事、状況の改善を阻害するような言動をしていた事を逆に突っ込まれ、周囲にも咎められ、自分の意識を改善せざるを得なくなった。 αが優れているからと言って、他のバース性を見下す理由にはならない事、バース性に関わらず人間は個人として尊重されなければならない事。 そんな、小学校で習うような基本的な事を、成長過程で歪められた価値観に目隠しされて、忘れていたと、母は俺を失う際になってようやく思い出したのだという。 外野がそんなこんなとわちゃついている間に、数日経過し、俺はようやく意識が戻った。 父も母も祖母も、親族は皆俺の生還を喜んでくれ、医師にも奇跡的に後遺症は残らないと言われた。 結局、俺の退院後、俺達一家は一軒家を購入して引越し、俺は保育園に入園する事になり、ハウスキーパーを雇う事になった。 ぶっちゃけ最初からそうしていれば要らぬトラブルも起きなかったのにという気もするけど、それは後になったから言える事だろう。 そして、俺はと言えば。 死の淵から戻ってきた俺は、以前のような快活さはなりを潜め、物静かな幼児になってしまったらしい。 自分じゃそんな年齢の時の事なんか覚えちゃいないから、当時の俺が何を考えていたのかなんてわからない。 只、生死を彷徨って意識の無かった間、ずっと誰かに呼ばれていたのを覚えている。 ずっとベッドに寝かされて器具を繋がれていたんだから、そんな訳が無いのに、その夢の中で俺は 誰かのあたたかい腕の中にいて、髪を、顔を撫でられていた。 そしてその声の主を、俺がとても大事に思っていた事も、わかった。 痛くて苦しいのに嬉しくて切ない。そんなない混ぜの気持ちを胸の中に、俺はその腕に抱かれていた。 顔もわからない、声も明瞭ではない、でも多分、男。 俺はその夢の彼の、本当に朧気な輪郭だけをこの世界に探しながら もう直ぐ18になろうとしていた。
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