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8 (瀧上 日佐人 3)
桜に攫われそう、って言葉がるよな。
でも実際そういう表現をされる人間って少ない。
アレは2次元のもんだよね。
少なくとも俺はずっとそう思ってた。
あの夜、あの街角で一葉さんを見る迄は。
長身の大人の男の人、それもαを、何故そんな風に思ったんだろう。
目鼻立ちは飛び抜けて綺麗だけれど、生気が無くて、瞳だけは煌めいているけれど、表情は乏しくて、痩せた青白い肌に細過ぎる指。
まるで生きる事に絶望しているかのような、その幽かさ。
一目見てしまえば、離れ難いような、後ろ髪を引かれてしまうようなその様に、縋るような声色に、NOなんて言えなかった。
一葉さんに会うようになり、3ヶ月。
最初の1時間である程度近況なんかを話して、食事を済ませる。
最近は残りの1時間は専ら勉強にあてている。
何故と言われても、それは一応俺が受験生で、雇用主である一葉さんがそれで良いと許してくれているからだ。
最初の簡易な契約通り、一葉さんは俺が何をしていても気にならないようだった。
目の前の、この席にさえいれば。
当の一葉さん自身はと言えば、本を読んだり、スマホを弄ったり、窓の外の往来を眺めたりしながら、時々思い出したように俺を見ているようだった。
ようだった、と言うのは、ふと目を上げると視線がかち合う事が多いからだ。
そんな時の一葉さんは、穏やかに目を細めて、その奥で黒曜石の瞳が蕩けるように甘く濡れて光っていて、事情を知らない人間が見たら、勘違いしてしまいそうだ。
俺だってドキッとする。
この人が、俺を好きなんじゃないか、って。
でも俺は知っているから。
この綺麗な人は、俺の姿を見る事で 亡くなった親友の記憶を呼び起こしているんだ。
俺と似たような制服を着て、同じこの店に来て、大体同じような席に座って飯を食って、俺と同じ歳で亡くなったという親友を。
どれくらい俺に似ているのかなんか知らないけれど、俺が普通に過ごす姿を見て、当時の自分達の日常を追体験しているんだろうと思う。
そして、その目を見る度に確信する。
多分 一葉さんはその人の事が好きだったんだ。
親友という以上に。
だって、俺の周りの誰も、只の親友をそんな甘ったるい眼差しで見たりなんかしない。
勿論、俺も。
幾ら仲の良かった親友だからって、15年も前に死んだ人間の事を、毎週毎週、飽きもせず偲んだりなんて、俺ならしない。
せいぜい日々の暮らしの合間に、時々思い出す程度じゃないのか。
ソイツは貴方にとって、どれだけ特別だったの、一葉さん。
もうこの世に存在すらしない、記憶の中にしかいない、そんな亡霊に嫉妬じみた気持ちを持つようになるなんて。
3ヶ月前には考えもしなかった。
あろう事か。
単なるバイト相手にしか過ぎない、少し変わった大人だと思ってた葉さんに、俺は恋をしてしまっていた。
本当に、何時の間にか。
出会った時の、何処か懐かしいように感じたあの気持ちは、恋に変わる前兆を知らせていたんだろうか。
倍ほども歳上の男の人だ。
只の高校生が、相手にして貰える訳がない。
週一の、たった2時間だけの、ファミレスの中でだけの関係。
一葉さんは大人だ。
自分で引いた線から踏み出す気もないし、ガキの俺相手に何か進展させる気も無いだろうとわかる。
伏せた綺麗な額や頬にかかる少し長めの髪に、長いまつ毛に、食事をしている時の濡れた唇に、繊細に動く細い指に。
自分が動く度に、無愛想な顔をしたガキが 一々胸を騒がせたり、堪らない気持ちになってるなんて 思いもしないだろう。
一葉さんにとって、俺は只の、思い出に浸るための道具に過ぎない。なのに、
拗らせて拗らせて、見つめられる度に心臓が苦しい。
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