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皆さま、お初にお目にかかります。
私、置楽亭ちくわと申します。噺家としては駆け出しに過ぎない無名の私のような者が高座に上がり、皆さまもさぞ驚かれたことでしょう。拙い語りに聞こえるかも知れませぬが、そこは何卒辛抱していただき、最後までお付き合い頂ければこれ幸いでございます。では、これよりしばらく。
さて、世の中には奇々怪界なことがございます。この話もそんな奇妙な出来事の一つなのでございます。
江戸の長屋に竹蔵という男が暮らしておりましたが、ある朝、起きて鏡を覗いてみると、あれま、びっくり! なんと首から上、自分の頭がなくなっているじゃありませんか。
竹蔵はあまりの驚きで頭が真っ白になってしまいました。あ、頭ないんですけどね。
そりゃ、そうでしょう。昨日まで普通にあった頭が、一晩寝て起きたらなくなってるんですから。
「こりゃ、てーへんだ」
竹蔵は慌てふためきますが、ふと妙なことに気がつきます。不思議なことに、頭がなくなっているにもかかわらず首のあたりには全然痛みがないのです。鏡を見なかったら、頭がなくなっていることに気がつかなかったぐらいです。
「こりゃ、どうしたことかい?」
竹蔵は首の切れ目がどうなっているか知りたくて、恐々ながらも前屈みになって鏡に写してみました。血だらけの首を想像していたのですが、意外なことに切り口はキレイなもんでした。血管は見えるものの、血は外に流れ出てないというこれまた奇妙な状態だったのです。
竹蔵はふと思いついて、手を頭の方に持ってきました。もしかしたら、頭はいつも通りくっついていて、ただ見えなくなっているだけじゃないのか、と。しかし、そんな淡い期待はあっさり裏切られました。やはり頭などどこにもなかったのです。
「ぶったまげたもんだ」
もう一つ竹蔵が気づいたことがあります。なんと頭がなくても声が普通に出せるし、目がなくとも何もかも普通に見えるし、耳がなくても全部聞こえるのです。竹蔵は首を捻りますが、どう考えてもその理屈はわかりませんでした。
困り果てた竹蔵。もちろんこんなことは初めてのことですから、自分ではどうしたらいいのか、さっぱり分かりません。しばらく家の中のあちこちを探してみましたが、どこにもありません。外に出て自分の頭を探してみることにしました。
「おーい、俺の頭やーい!」
最初は大声で叫びながら歩いていたものの、よく考えたら周りから見たら異様な光景です。
そりゃ、そうでしょう。首無し男が大声をあげながら歩き回ってるのですから。竹蔵は静かに探すことにしました。
「あの、もし……」
竹蔵は道行く人に声を掛けようとして寸前で思い止まりました。知らない人間にこんな首無し男が声をかけたら肝を冷やすに違いありません。困り果てた竹蔵ですが、もしかしたら知り合いなら大丈夫かもしれん、と思い直し、また歩き始めました。
「うん? あれはもしや……」
街の中心部を流れる川に掛かる一番大きな橋の袂辺りで、竹蔵は知り合いに似た男の後ろ姿を見つけました。
「あんた、もしやちりめん問屋の源さんか?」
忍び足で近づくと、竹蔵は迷いながら男の肩を軽く叩きました。男は一瞬、ギョッとしたように全身を震わせて体の向きを変えました。
「そうだが。あ、あんた……」
驚くのも無理もありません。頭なしで生きてる人間など竹蔵くらいなものでしょう。
「源さん、俺が誰だかわかるかい?」
「もしかして竹さんか?」
「おお、分かってくれたか」
「ほんとに竹さんなのか。おめえ、頭はどうした?」
「どうもこうもねえよ。朝、起きたら首から先がなくなってたんだよ」
「なくなってたって、おめえ……」
ちりめん問屋の源太郎は、竹蔵の全身を舐めるように見たあと、ため息をつきました。
「はあ……それでおめえ、大丈夫なのか?」
「大丈夫って? ああ、ちっとも痛くねえよ」
「いや、そういうことじゃなくてよ。これからどうするんだって話だよ」
竹蔵はまたまた困り果てました。そう言われても竹蔵のほうこそ、教えてほしいぐらいです。
「まるで頭隠して尻隠さずって奴だな」
「別に隠したくて隠してるわけじゃねえけどな」
「おい、もしかして竹さんの頭が俺に見えないだけじゃないのか? 考えてみりゃ、お前、口がねえのにいつも通りに喋れてるし、目がねえのに俺の姿だって見えてんだろ? おかしいじゃねえか」
先ほど竹蔵が抱いた疑問を源太郎も同じように感じたようです。
「おかしい。いや、おかしいよ。でもな、なぜか本当に起こっちまってるんだ」
「嘘なんだろ。カラクリかなんかで、本当は頭がここにあるんだろ?」
源太郎は上から思いっきり竹蔵の頭があったところをを叩きました。
「何するんだよ、源さん。痛えじゃねえか」
源太郎のゲンコツは頭があったところを通り越して首の付け根にパシッと当たり、竹蔵は悲鳴を上げました。
「ほんとにねえな、頭」
「さっきからそう言ってんだろ」
「ふーん」
源太郎は腕を組んで、竹蔵のほうに視線を送りながら考え込みました。
「さっき起きたら頭がなくなってた、って言ってたよな」
「おおっ」
「だとすりゃ、布団の中にでもあるんじゃねえか?」
「とっくに探したよ。部屋中、いや家中、全部隈なくな。押入れの中にもなかった」
「泥棒が盗んでいったんじゃねえのか?」
「なんのために?」
「頭って高く売れるんじゃねえか」
「売れるわけねえだろ。そんなもん何に使うんだよ。買っても置き場所に困るだけだろ」
「そんなもんかね」
源太郎があまりに呑気なので、竹蔵はいらいらが募りました。
「だいたいなあ。泥棒がよりによってなんで俺の頭盗むんだよ?」
「他に金目のもんがなかったからだろ」
「そりゃ、俺んちは金持ちじゃねえし、売り物になりそうなもんも何もねえけどよ」
「『世の中を動かす』ぐれえの知恵者なら狙われるのもわからなくはねえが。おめえの頭はただのトリ頭だしな」
「トリ頭言うな!」
「こんなのはどうだ? おめえの顔を好いてる女が独り占めしようとか考えて、頭持ってったんじゃねえの?」
「おおっ、あり得るかも。たしかにモテるのはモテるが」
「そこは否定しろよ」
源太郎は呆れながらも、半分面白がっているんじゃないかと竹蔵は思いました。
「あ、なんか、わかったかも」
「おっ、源さん、俺の頭がどこにあるかわかったのか?」
「おお、頭を隠すには頭の中って言うだろ?」
「言わねえよ!」
「つまりな、頭はお前の妄想の中にあるってこった」
「はあ、さいでございますか。要するに俺が頭がないと思い込んでるだけって言いてえのか」
「俺が言いたいのはな、一つの考えに凝り固まってたらダメやで、ってことや。盗まれたって可能性に絞るのはあまりに危険やな」
源太郎の主張はたしかに正論だったので、竹蔵は反論出来ませんでした。
「ほかの可能性というと……俺がどこかに頭を置き忘れたって可能性か?」
「それって……おめえ、自分でも全然信じてないだろ。自分で言ってて恥ずかしくない?」
「おめえが言わせてんだろ! それより他の可能性もあるかな?」
「おお、大事なこと忘れてるぞ。おめえの頭が勝手に動き出して逃げ出したっつうのはどうだ? お前の虐待に耐えきれず、とか」
「どこの世に自分の頭を虐待するやつがいるんだよ!」
「虐待はともかく、頭は宿主を選べないからな。こんなひでえ顔の主人は嫌だって逃げ出したとしても俺は何も言えねえよ」
「頭と顔はくっついたままなんだが」
竹蔵はどうも源さんのペースに乗せられているような気がしました。
「竹さん、おめえは頭かたいんだよ。頭でっかちっつうか。頭ないけど」
「頑固なのは生まれつきだ。それよりよ、俺思ったんだが、別にこのままでも良くね? 特に不自由してないし」
「いや、おめえは良くても周りがびっくりだろ」
「慣れりゃなんとでもなる」
「なるほど。おめえ、意外と頭いいな。頭ないけど」
「知らんけど、みたいな使い方すな!」
源太郎はハハハと笑い声をあげたが、すぐに落ち着いた声音になった。
「よく考えたら頭ないって、いいこともたくさんあるじゃねえか。びっくりしても目が飛び出ることもねえし、恥ずかしくても顔から火が出ることもねえ」
「いや、どっちも出ないやろ、みんな」
「死刑になったときも生首を晒されることもねえし」
「怖えこと言うなよ」
「あ、そうだ。いっそ誰かさんの生首を乗っけとくか?」
「やめろ!」
「ほんまはそれもええなあ、なんて思ってんじゃねえの?」
竹蔵は思いっきり嫌がった。
「首振って嫌だっつってるだろ! わかれよ!」
「いや、わかんねえよ! 首がねえんだから」
「その首、また生えてこねえかな?」
「とかげじゃあるまいし。そんなうまい話はねえよ」
「そうやろな。髪すら生えてこねえもんな」
「今はハゲ関係ねえだろ!」
「むしろハゲ気にしなくて良くなって万々歳じゃねえか」
「ハゲハゲ言うな!」
竹蔵は源さんに自分の怒った顔を見せられないのが残念です。いつもならこんな不真面目な態度を見せられたら、目を吊り上げて相手を睨むのが常なのですが。
「ところでよ、俺が竹さんの頭見つけたらどうなる? 謝礼で1割くれるのか? 出来れば舌か耳にして欲しいな。一番美味そうだし」
「喰うんかい!」
いつまでこんな不毛な会話が続くのでしょうか。最初は知り合いに会えて嬉しかった竹蔵も、こうなるとついに堪忍袋の緒が切れました。
「ああ、もう頭にきた!」
「おめえ、頭ねえじゃねえか」
何か言うたびに「頭がない」とツッコまれるので、竹蔵はどっと疲れました。
「もう、ええわ。ないもんはしゃあねえ。慣れるほかねえわな」
「お、覚悟決めたか」
竹蔵はある意味開き直ってすっきりした顔になりました。もちろん顔はないのですが。そして源太郎に向かっておもむろに言いました。
「それでお前さんの頭はどこにあるんだい?」
……というお話でございましたが、皆様どうもご清聴ありがとうございました。
まったくお恥ずかしい限りでございます。あまりに拙い語り故に、皆様方に顔見せ出来たもんじゃございません。このような姿で登壇いたしましたのは、そういうわけでございます。あしからず。
(完)
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