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沙良は思わずその場から逃げ出すと、会社の近くにある小さな公園まで走りベンチに腰掛けた。
なぜ会社の場所が、後輩に見られてしまった、相当怒った様子だった、など様々な思惑が頭の中をめぐる中、不意に頭上から咳払いが聞こえた。顔を上げずともわかるその威圧に、沙良は為す術もなく項垂れた。
「……なんで会社の場所知ってるの。ていうか吸血鬼のくせに太陽浴びても平気なの?」
「私ぐらいの吸血鬼になればな」
「答えになってない……」
はあ、と項垂れたままため息をこぼす沙良に御構い無しに、カベルネは沙良の横に座りお弁当が入った袋を押し付けた。
「まったく……ただでさえ健康状態が不安定だというのに、また適当に済ませようとしたな!?」
「それは……ごめんなさい」
カベルネの小言に素直に謝罪すると、沙良は袋からお弁当を取り出した。蓋を開けると彩豊かなおかずがきっちりと並んでいた。「いただきます」と手を合わせた後に、箸先でパプリカのマリネをつまんで口へ運ぶ。オリーブオイルの香りと肉厚なパプリカの甘さが口の中に広がり、思わず顔が綻んだ。
そんな沙良の様子を横から見ていたカベルネがふいに口を開く。
「先ほど見た顔つきと随分違うな」
「そりゃ、会社なんてストレスが溜まる一方だし」
「……ストレス、か」
顎に手を当てたまま考え込むカベルネを不思議に思いながらも沙良はお弁当をつつく手を止めなかった。弁当箱の底が半分ほど見え始めた頃、カベルネは「少し出かける」と言って席を立った。
突拍子もない発言に朗らかな食事が一転、ご飯を喉に詰まらせそうになった。咳込みそうな衝動を必死に飲み込み、沙良はカベルネが背を向けるすんでのところで口を開いた。
「で、で出かけるってどこに!? この世界の常識というかルールというかそもそも行きたい場所ってどこ……」
「私を幼子だと思っているのか? 心配無用だ」
そう言うや否やさっと姿を消したカベルネに、沙良は持っている箸を落としそうになった。運良く自分たちの近くに人が居なかったからよかったものの、誰かに見られていたら大惨事である。一気に忙しくなった心臓を抑え、お茶で一呼吸ついた後に最後の一口を平らげた。
弁当箱を鞄の中にしまいこみ、再びお茶を啜ると温もりがじんわりと染み込んだ。そしてふと、こうしてのんびりと空を見るなんていつぶりだろうかと考えた。出勤時には空を見上げる余裕なんて無いし、退勤時にはすっかり真っ暗になってしまう。かといって休みの日にわざわざ空を見上げるかというと、別にそんなことは無い。暇さえされば取り出していたスマホも、今は不思議を見ようという気が起こらなかった。
程よい満腹感が睡魔を連れてくる昼下がり、沙良はお昼休みが終わるまでの束の間を青空の下で過ごしていた。
***
一方カベルネは沙良と別れた後、自宅近くの図書館へ足を運んでいた。いつもチェックしている新聞や料理本のコーナーを通り過ぎ、「健康・メンタルヘルス」と書かれた棚の前で足を止める。
そしてその中の一冊を手に取ってぱらぱらと捲り、「ストレスと健康の関係について」という章で手を止める。
「……やはり、今のままでは足りないのか」
カベルネはぽつりと呟くと、手に取った本を元に戻して次の目的へ向かった。
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