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「はあ……」
売店近くのベンチに腰掛けると、急に疲れがどっと押し寄せた。壁の影からカベルネの様子を伺うと、今度は周りの植物を興味深そうに眺めていた。
その姿を見てふと、「絵になるな」なんて思いが浮かんだ。接点のない人間から見ればきっとただの植物好きな知的な雰囲気の男性にしか見えないだろう。黒いコートに身を包んだすらっとしたシルエットが妙に綺麗で腹が立つ。
視線を戻すと、手元の紙袋がかさりと鳴った。上に結ばれたリボンを指でなぞると、香りがふわっと辺りに広がる。
「(自分のために花を買ったのなんて、初めてかも……)」
紙袋を抱え込んでゆっくりと花の香りを吸い込む。すると、まるで最初にワインを口にした時のような強烈な眠気に襲われた。平衡感覚を失い、コートのポケットからスマホが滑り落ちる。石畳に打ち付けられた衝撃音が大きく反響し、カベルネは反射的に音がした方向に振り向いた。すると、沙良の後ろ姿がゆっくりと前のめりに倒れていく様子が目に映った。その瞬間カベルネは息を飲み、沙良の居る方へ走り出した。
「沙良!」
カベルネが駆けつけて顔を覗き込むと、そこには呑気に寝息をたてて眠る沙良の姿があった。あまりにも平和ボケしたその姿に肩の力が一気に抜け落ち、代わりに怒りと呆れが湧いてくる。
カベルネは、船をこぐたびに沙羅の腕の中でカサカサと鳴る紙袋を取り上げると、不機嫌そうな顔で沙良を見下ろした。
「はあ……一体なんなんだこいつは」
「同感ね」
独り言のつもりで吐き出した言葉に、ふいに背後から同意の言葉が投げかけられる。カベルネが後ろを振り向くと、そこには長い髪を揺らして立つ少女の姿があった。その姿を捉えた瞬間、カベルネの顔がみるみるうちに青ざめていく。
「この子、随分と健康そうだけど……どういうこと? カベルネ」
ふわりとした長い髪に、黒いドレスに包まれた華奢な体。少し幼さが残る声の持ち主は、猫のような鋭さを持つ大きな目で眼前のカベルネを見据えていた。
「なぜ君が……」
カベルネがぎこちなく口を開くと、その少女は眉をひそめた。
「あなたが全然帰ってこないからよ。いつものようにさっさと血を奪って帰れば良いのに、手紙ひとつも寄越せないような事情があるの?」
はっきりとした物言いに、カベルネは一瞬言葉を詰まらせた。そして自身のすぐそまで眠りこけている沙良を一瞥し、苦々しい面持ちで目の前の相手と向き合った。
「……この娘には手を出さないでくれ、私と契約している」
「契約ですって? こんな平和な顔で寝こけている娘と?」
「眠らせたのは君の力だろ? 早く術を解いてくれ」
「嫌よ。納得するまで術は解かない」
終わらない押し問答にカベルネが口をつぐむと、目の前の少女は強気な姿勢を崩さないままさらに続けた。
「言ったわよね。早く一人前になって戻ってくるって」
「……確かに、言った」
「一人前になった暁には、月がよく見える湖畔に家を建てるって」
「言った……か?」
「そして愛する妻とバラが咲き誇る庭園で余生を過ごすって」
「待て、誰の話をしている? 私はそんなこと言った覚えはない」
その瞬間、少女が纏う空気が揺らいだ。
「……嘘だったの」
苦々しく吐き出された言葉にカベルネが眉をしかめると、少女は目に涙をいっぱいに溜めてカベルネを睨んだ。
「アタシをお嫁さんにするって言ったのに、嘘つき!!!」
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