過去

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 父なりの誠意だったのだと思う。離婚するのに弁護士を介入するという意味が僕には分からなかったが、母の負担にならないように手続きを進めるということだったのだろう。 「…………」  うんともすんとも言わなくなった母に対し、父は「大成のことだけど」と切り出した。  盗み聞きしていた僕は、急に名前を出されて息を吸ったまま吐き出すことを忘れてしまった。なんとなく嫌な予感がしてその場から離れた方がいい気がしたが、身体が動かない。  手の平にじっとりとした汗を感じた頃、父の声が僕の耳に届いた。 「親権はママにお願いしたい」  ここで初めて母は声を上げて泣いた。僕はゆっくりとその場を離れ、自室に戻った。  僕が母を守ろうと、守らなくてはと強く思った。僕は母のことが好きだったし、父のことも好きだったが、一瞬で父のことは嫌いになった。嫌いになると顔も見たくないくらいに嫌になったが、翌日から父は帰って来なくなった。  母から父と離婚することになった経緯を聞かされた。僕は知っていたけれど、初めて聞いたような反応をして「2人が決めたことなら何も言わない」と聞き分けの良い子どもを演じた。  もし父が僕を引き取りたいと言っていたら、どうしただろうと考えることもあったが、いずれにしろ母の方に付いて行ったんだろうなと結論付けた。  弁護士を通じて何度もやり取りをして正式に離婚が成立したのは、僕が中学2年生に上がった時だった。  家は分譲マンションで、名義だとかローン問題だとか僕には分からなかったが、とりあえず僕と母は出て行かなくてよかった。  父は次男で母が1人娘だったので、父が婿養子に入っていた。達川という名字は母の姓だったため、離婚しても変わらず、その点においては同級生に悟られることはなかった。  問題だったのは、母の精神状態だった。
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