17人が本棚に入れています
本棚に追加
/40ページ
木々はざわめいて
大学へ行こうと駐輪場へ向う。土曜日だけど、午後から部活があるんだ。所属してるのは硬式テニス部だ。ソフトテニス部もあるけど、とある事情があって封印してしまっていたからだ。
今、小型の中では一番大きいスクーターに乗っている。
(そう言えばこのバイクも二人で選んだんだったな。キミを乗せて色々な場所へ行ったな……)
又思い出していた。これにも沢山の思い出があるからだ。
通っている大学はかなり勾配がある坂の途中にある。だから毎日、エンジンには負担を掛けている。それは解っているが、自転車では通えるはずがない。そう思っていた。
僕は以前、ゼロ半と呼ばれている原付自転車で通っていた。
高校には内緒で、在学中に自動二輪の小型免許は取得した。だから卒業時点で購入したのだ。
今はないけど、その頃埼玉県では三無い運動ってのがあった。高校生は免許を取らない。バイクを買わない。乗らない。その三つの無いで名付けられた。
それが時代の波で廃止になろうとしていた。だけど僕はその前に取得してしまったのだった。
本当はもう少し大きいバイクにしたかったけど、高額だったから結局それになったんだ。
だけどそれは、エンストやら何やらでトラブル続きだったんだ。
それに二人乗りが出来ないから……、思い切って彼女のためにこれに乗り換えたんだ。
僕が住んでいるのはほぼ駅前だ。大学はその一つ先の駅。
其処から無料のスクールバスが出ている。でも僕は雨の日以外は殆ど乗らない。何となく面倒なんだ。だから自由のきくバイク通学をしてしまうのだった。
僕はある事情があって、身を隠すように生活をしている。
だから隣同士の交流のあまりない彼処が性に合っているのかも知れない。
(だけど、本当にこの坂はきついよな。あの原付の故障だって、きっとこの坂が原因になったに違いないな)
呑気にそんなことを考えながら何時もの道を走っていた。
この坂の途中に大学はある。だから僕はひそかに此処を、ゼロ半のエンジン破りの坂と喩えていたのだった。
その大学の下には動物園があって、何時も大勢の子供達で賑わっていた。
(今日もいっぱいだな)
横断歩道で手を挙げて歩いてくる子供達を僕は懐かしく見ていたのだ。
……ドキン。
(ん!?)
……ドキン。
(えっ、今の何だ?)
……ドキン、ドキン。
(えっ、又……)
僕の前を、保育園児の手を引いて若い保育士が通っていた。原因はその人だった。僕の心臓が激しく波打った。
(何なんだ? 何でこんなことになるんだ)
僕は……、ただ呆然とその人を見つめていた。
見覚えがあるようでないようでハッキリしない。何故ときめいたのかも解らない。でも僕のハートは完全に持っていかれた。
(おい、待てよ。僕はまだ彼女のことが忘れられないんだろう?)
……ドキン。
それでも、気持ちは正直だった。
僕はもう、その感情を止められなくなっていた。
(おい……止めておけよ。あの人にも……、彼女にも失礼だぞ)
まさにその通りだった。
僕は、彼女をまだ愛していた。
心の底から愛しく思っていたのだった。
何故保育園児か判ったのかと言うと、着ていた物が僕が通っていた場所と同じだったからだ。
だから懐かしかったのだ。
市にある公立の保育園は皆同じ色のスモックだったのだ。
彼女はその子供達を引率していた。何処の保育園かは解らないけど保育士だと思ったのだ。
――ブ、ブブー!!
いきなりクラクションを鳴らされた。
見ると横断歩道にいた子供達は既に渡りきった後だった。僕は大急ぎでアクセルを回した。
その時慌てていたのか、バランスを崩してバイクを転倒させてしまったのだ。
クラクションを鳴らした車が、平然と横をすり抜けて行く。僕はその場で立ち往生していた。
小型のバイクと言ってもかなり重い。四苦八苦していたら見兼ねた男性が助けてくれた。
「ありがとうございます。お陰で助かりました」
「あれっ!? その声もしかしたら隼か?」
僕は慌てて、ソイツの顔を見た。
「あっ、孔明(こうめい)か?」
ソイツの名前は松田(まつだ)孔明。親が風水に凝っていて、諸葛孔明から名付けたそうだ。
「懐かしいな。あっそうかお前、確か上の大学だったな」
「うん。でも懐かしいとはなんだ。この前会ったばかりだろう? あの時押し付けられたエロ本だけど、まだ読んでもないよ」
僕はそう言いながらも、セルを回し続けた。
「ダメか?」
孔明の言葉に頷いた。
「大学までかなりあるのに、どうしよう?」
落ち込む僕の後ろで、孔明はバイクを押し出した。
「しょうがないから手伝ってやるよ」
「流石親友。でもいいのか?」
「すぐ戻って来るからって言ってくるよ。それからで良いなら……」
「それじゃ頼むわ」
僕は孔明の思いやりが嬉しくて泣いていた。 木々をざわめかせながら、雨上がりのさわやか春の風が吹いていた。
僕は孔明と一緒にバイクを押しながら、きつい坂道を歩き始めた。
バイクを休ませたのが良かったのかは解らないが、大学を出る時にはしっかりとセルが回ってくれてエンジンが快調に鳴り響いた。
「やれやれだな」
そう言いながらも、ホッとした僕は何時になくルンルン気分だった。
前に乗っていたゼロ半のようにならないかと気が気でならなかったのだ。
以前、大学下の動物園入り口近くでエンストしたことがあったからだ。
そう、丁度バイクを転倒させた辺りだったのだ。
だから気が気でならなかったのだ。
あの坂の勾配は半端じゃないんだ。
だから、孔明の優しさが嬉しくてたまらなかったんだ。
孔明とは保育園時代からの腐れ縁だ。
悪い意味ではない。
寧ろ、離れがたい存在だって意味だ。
ただ……
彼女のことだけは話せなかった。
彼女も……
いや、三人は何時も一緒だった。
幼なじみが恋人だ、なんて恥ずかしくて言えなかったんだ。
『良かったら、夜家で焼肉やらない?』
大学の門まで押し上った僕は孔明にそう言った。
お礼のつもりだった。
『良いのか? 俺は大飯食らいだぞ』
孔明は嬉しそうに言っていた。
『家に帰ったら電話するね』
『ああ、お腹空かせて待っているよ』
孔明はそう言いながら、ポンポンとお腹を叩いた。
僕の住むマンションは駅からほど近い。
その上、隣が大型スーパーなのだ。
バブル期に建てられ少し老朽化したが、その頃に比べたら値段は五分の一位に以下なっているそうだ。
オーナーは叔父だ。
何でも隣のスーパーの宝くじ売り場で購入したのが大当たりして、格安物件を手に入れ借しているんだ。
でも僕は身内だって言うことで、特別に安く貸してもらっている訳だ。
小さい頃住んでいたのはオンボロアパートだった。
其処に比べたら雲泥の差だ。
だから僕は叔父に何時も感謝しているのだ。
間取りはオンボロアパートと大差はない。
玄関脇にはお湯を沸かす以外殆ど使用していないキッチンがある。
それが少しだけ広いくらいだ。
食事は洋間にあるソファーベッドの脇のローテーブルで済ませていた。
一応和室もあるけど、叔父が気紛れだから何があるか判らないんだ。
突然やって来て泊まっていくこともあるかも知れない。
そんな時のために空けてあるんだ。
家賃を殆ど払っていないから強気に出られない。
それが僕の弱点だった。
最初のコメントを投稿しよう!