24人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ
その猫は、鼠小僧の魂がスリしたお金を、非常にランダムに配り歩きました。
と言っても、所詮は猫です。路上や狭い場所に置き捨てるぐらいしかできません。
人間は時折それを見つけ、交番に行ったり、自分の物にしたりしました。
およそ二百年のあいだに、どのぐらいのお金が盗まれ、どのぐらいの人がそれを拾ったのか──ええ、もちろん、誰にも分かるはずがありません。ねずみ算みたいに、等比数列による計算式は成り立ちません。何故なら鼠小僧自身が、すでにライフワークとして気ままに盗んでいるために、一律いくらと決まってはいないからです。
あの日の猫は、その生涯で多くの猫と交わり、多くの子を成しました。その子がまた子を成し、そのまた子が子を成し、それらは日本全国に飛び散って、昭和の時代が幕を開けた頃には、一つの町に必ず一匹は『ねずみの血を受け継いだ猫』が存在するようになりました。
猫たちは、日がな一日寝ていますから、働くことを殆どしません。たまに空からお金が降ってきて、それを町のどこかに置き捨てるだけです。人間がお金を拾うかどうかは運次第。また、その額が如何ほどかも運次第という状況が長く続いております。
本当に不味かった、ねずみの血──。
人間がお金をネコババしたとき、なんとなく嫌な気持ちになるのはその味のせいです。ほら、かつてのネコババを思い出すと、じわっと不快な気分になりませんか。だから、額がいくらであっても、交番に行きましょうねと申し上げたのです。そうしたらあの不快感は爽快感に変わり、少しだけ自分を褒めてあげたくなるものですから。
最初のコメントを投稿しよう!