序章 宵闇の口 ~陰陽師鷹一郎 00

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「夜は明るくすれば良いというものではないのです。そうは思いませんか、哲佐(てっさ)君」 「俺にそんなこと言われてもな」 「まぁ、哲佐君のお仕事には関係ありませんものね」  その涼やかな鷹一郎(おういちろう)の声は飄々とした風とともに俺の耳に流れ込んできた。  いつもながら酷い言われようだ。  時刻は既に丑三ツ時(午前2時半)。冬の夜はしずしずと更け、往来は既に闇に染まり人気(ひとけ)はなく、雲間にぽかりぷかりと浮かぶ丸い満月だけがこちらを見下ろしていた。  目の前の昨明治15年に完成したばかりの神白(かじろ)県庁舎が、時折差し込む月の光を反射しつつ、威風堂々とそびえ立っている。俺と俺の雇い主である土御門(つちみかど)鷹一郎は、この寒い夜中に県庁舎を正面に見る正門前に陣取っていた。  この正門から県庁舎までは幅員10メートル、距離100メートルほどのまっすぐな道で繋がっている。そして俺たちの侵入を阻むように、道に沿って冷たく乾いたからっ風が身を切るように吹きすさび、陰陽師を名乗る鷹一郎が(まと)う土御門家の蝶紋が縫い込まれた狩衣(かりぎぬ)の袖と烏帽子から流れる一房にまとめられた長い髪をバサバサとはためかせていた。自分の羽織る分厚い(あわせ)に綿入り半纏という防寒対策を施した姿と比べる。 「お前、やっぱり寒そうだな」 「冬用に分厚いんですけどね。この格好じゃないと締らないんです。それより来ますよ」  その鷹一郎の短い言葉が耳に入った瞬間、何者かの気配に首筋が総毛立つ。  いつの間にやら夜闇と同色の昏い霧が一帯に立ち込めている。目を凝らすとそれは次第に凝縮し、見上げる銅板葺きの県庁舎屋上に、じわりと何者かの姿が滲み出た。  ヒョウという物寂しい鳥の声のような、或いは風が擦れるような音がした。心のうちに不安が巻き起こる。  夜の鳥の声。様々な姿が合成されたわけのわからぬもの。 「つまりあれが(ぬえ)か」 「多分ね。文献とは少し異なりますが、だからこそあれが鵺なのでしょう」  文献。それは平家物語だ。  そこでは猿の顔、狸の胴体、虎の手足、蛇の尾の姿として描かれている。けれども月明かりに照らされくぐもった唸り声を上げる怪異は少し異なり、胴体は噂に聞く象のように厚い皮膚に覆われて盛り上がり、顔もより大きく赤く長い蓬髪(ぼさぼさの髪)を備えた狒々(ひひ)のように思われる。よくわからぬ恐ろしいもの。全体が随分と大きく、体調は5メートルほどあるように思われた。  本当にこんな化物が倒せるのだろうか。俺の中に疑問と恐怖がふわりと沸き立つ。そこに(からか)うような鷹一郎の声が刺さる。 「おや。ひょっとして怖いのですか? 哲佐君」 「怖ぇえよ。お前と違って俺はただの人間だからな」 「哲佐君がただの人間であれば、この世の人の数はもっと少なくなっているのでしょうね」 「精神の話だ」  鷹一郎はこの鵺退治を神白県から頼まれた。そして俺は生贄として鷹一郎に雇われた。眼の前の怪異は俺を襲い、そこを鷹一郎が倒す。そんな手筈で、既に作戦は立てていた。  鷹一郎との昼の会話を思い出す。
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