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割烹ダイニングでの食事を終え、場所を変えて飲み直すことにした二人は、29階のバーに移動して夜景の見える席に座った。
ウエイターに飲み物をオーダーすると、夜景を見つめながら和亮がボソリと呟いた。
「今日来てくれただけで満足だよ」
言葉とは裏腹に虚な目をして寂しそうに笑う。
「和亮くんはいつもそう。自分勝手」
「羽奏?」
不意に下の名前で呼ばれたことに驚いたのか、窓の外の夜景に向けられていた和亮の視線が羽奏を捉える。
「散々人の心を掻き回しておいて、優しいふりして一番酷く傷付ける」
羽奏は苦笑いしながら、不器用なんだからと続けて呟く。
「そうだね。俺のは優しさじゃない」
情けない顔をして呟くと、和亮は運ばれてきたウイスキーを飲み下して小さく息を吐いた。
「和亮くんはどうして私を名指ししたの」
今回の縁談がどんな形で決まったのかは分からないが、和亮のことだから誰に対しても迷惑の掛かることを避けようとして、羽奏を思い出したのだろうと思った。
運の悪いことに、羽奏は34になった今でも独身のまま。一度も嫁ぐとこなく、和亮とのことを引きずって、恋すら出来ずに過ごしていた。
「羽奏、すまない」
「どうして謝るの?」
「俺はずっと君を諦めきれなかった」
和亮の言葉にハッとする。けれど罪悪感の滲むその言葉には、心の底から喜ぶことが出来ない。
「……今更最低な言い訳するんだね」
「すまない」
「まだ謝るの?」
意地の悪い言葉が口を吐く。
和亮が羽奏に対して苦悩を抱えていたことは、嫌と言うほど知っている。
けれどあの日、腕の中で後悔に押し潰されて震えていた和亮を見てしまった羽奏には、自分への想いが彼をどれほど追い詰めるものだったのかも理解している。
「どうして今頃になって私なんかを呼び寄せたの」
「どうしてかな。贖罪だろうか」
その言葉に羽奏の心はギュッと締め付けられる。
許しを乞うために、なんでもすると言いたいのだろうか。そんな気持ちなら要らない。ただ愛して欲しいだけなのに。やはり自分では無理なのかと、羽奏は惨めな気持ちになる。
「和亮くんは許されるならなんでもいいのね。私の気持ちや考えなんか、最初から聞いてくれるつもりがないのよ」
「羽奏?」
困惑した和亮の顔を覗き込むと、一気に昔の記憶が溢れ出してくる。
「貴方を壊してしまったのは私なのに、どうして私を責めないの?」
16年前の真夏の暑い日。扇風機の頼りない風、クーラーをつけず窓を開け放した部屋の中で滴り落ちる汗。
誰にも言えないまま恋が終わったあの日。
あの時から羽奏の時間は止まったままだ。
「どうして君を責められる?俺は君を、羽奏を汚して傷付けた。あんなことをしたのに現実にも向き合わず逃げ出した」
「けれどこうして会いに来てくれた。それはどうしてなの」
「……ずっと羽奏だけを愛してるからだよ」
「今頃そんな風に認めるの?」
カクテルを一口飲むと、羽奏はそっと和亮を見つめる。
「羽奏は俺を許せるの?」
「許すもなにもないわ。あの時私が深く傷付いたのは、貴方を苦しめてるのが自分だと認識したからよ」
「違うよ」
「違わない。あの時、貴方は8つも年上の大人だった。真面目な貴方には自分のしたことが受け止めきれなかっただけでしょう?」
「だからって許されることじゃなかっただろ」
羽奏を見つめる眼差しに、後悔が滲んでいるのは明らかだ。
「じゃあ罪滅ぼしだと言って、また自分勝手に私を手元に置いて、気が済んだらまた都合良く私を捨てるの?」
顔を見ていると、やはり意地の悪い言葉が口を吐く。
「……そう思われても仕方のないことをしてしまった。やっぱり安易に羽奏に会うべきじゃなかった」
辛く歪んだ表情を、大きな手で覆って和亮は俯いた。
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