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寝た?
なんなんだよ、マーサ、君のせいで寝られない
触れていてもいい?
許可を取るなんて君らしくない
……最近、嫌な夢を見たんだ。ワイアットが俺を追い出す夢
そんなことしない
ホント? 嬉しい
脳内が全てマーサで溢れる。シーツの中で幸せにそうに微笑んでいたマーサ。ふふ、っと、くすくすっと笑い、私の下腹部に手を回す。そして互いの身体の香りを交換するように密着してベッドに埋もれる。白い世界の中で真っ白な肌を持ち、銀色の髪の毛を携えるマーサは消えて無くなりそうな儚さを醸し出していた。
私がやらなければならないのはただひとつ。アイザックのおかげで少しだけ勇気が出る。──相手に失礼。マーサは言っている。俺をきちんと見てくれ、と。私は彼がそんなことを言う前から見ていた。しっかりとマーサに触れたいと思っていた。けれど私は臆病だから、マーサに失礼なことをしていた。それが愛だとかなんだとかは分からないが、今やらなければならないことは分かる。
「ジェイコブ、話がある」
「……少しだけ待って」
勇気を出して言葉にしたのにジェイコブに話を遮られる。ジェイコブは休憩室に置いてあるテレビを食い入るように見ていた。CBS局が夕方のニュースを報道していた。画面には黄金比率を持った美しい女性が身体を机に乗り出し、ニュースを伝えている。
《ニュースの途中ですが、ダンテ事件に関連する情報をお伝えします。今から2時間程前局の方にダンテ事件の犯人であるという者から音声が届きました。音声を流さなければ局の人間に被害が出るとのことで、私たちは人質に取られているということを理解したうえでお聞き下さい》
ジェイコブはチャンネルを片手に持ち、音声を上げていく。セクシーな赤いドレスに身を包んだアナウンサーはカメラの外に目を向けて、──流して。と呟いた。ざっ、ざっ…と不快な音が聞こえた後に続いたのは怒号だった。
《あのお粗末な死体はなんなんだ!! 俺の作品を冒涜するんじゃねぇよ! それもこれもあんたたちが半端に事件を報道するからだ! 今日出た死体は俺の作品じゃない! 模倣犯は今すぐぶっ殺してやる! よく聞け。俺の作品を冒涜するようなことをしてみろ、報道する人間たちも容赦なく殺してやるからな!》
ブチッと切れた音声。画面は顔を顰め恐ろしいと言いたげな表情をしたアナウンサーを映している。
「模倣犯、よくやったと言いたいね。ようやく尻尾を出した。プロファイリングに合う。かなりのナルシストだ。ビリーにこの音声を解析してもらわなければ……」
ブツブツと喋るジェイコブ。そこにナタリーが現れる。
「今すぐこの音声を貰ってこい。詳細も聞いてこい」
「言われる前に行こうと! すぐに!」
ジェイコブは部屋を飛び出す。部屋に残されたのはポテトチップの残骸とナタリー、そして私だった。
仕事とマーサを天秤にかける。嘘と真実を天秤にかける。いつだって私はマーサに勝てない。マーサは強者だ。私は社会的に死ぬというのはどういう意味を持つのか、いまだに分かっていない。それでもやらなければいけないことは分かっている。私は敗者ではない。ただ、躾られただけなんだ。愛を躾けられた。
「私になにか言う事はあるか?」
私をFBIに引き抜いたのはナタリーだ。ナタリーが私の才能を見出してくれた。ナタリーとはいくつもの事件を一緒に解決してきた。
「……さっきは嘘をついて悪かった」
私はマーサ・レイニーを愛している。
私はこれから引き算の捨てられる方の人間になる。けれど、私の身体を解剖したら、どこをどう刻んだってマーサへの愛がどろりと蕩け出すだろう。
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