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ワイアットはタトゥー彫らないの?
水の上から肌をなぞるな、くすぐったいだろ
勃起しちゃう?
……私は未来永劫同じものをずっと愛せるか分からない。タトゥーも同じだ。人生を共に出来るか不安なんだ
俺もそうなの?
一緒にバスタブに入るのが日課だった。朝、起きて飯を食ったら清々しい朝日を浴びて風呂に浸かる。それなりにデカい図体の私とマーサがぴったりくっついて離れない程度の大きさのバスタブ。悲しげに細められた瞳になにも言えなかった。そうじゃないと信じたかった。マーサだけは違うと。
「マーサ・レイニーを知っている」
「ほぉ……、詳しく聞かせてくれ」
ナタリーは私と距離を詰めた。テーブルに置き去りにされたポテトチップの袋からコンソメの香りがしてくる。それがマーサがはじめて私に振る舞ってくれたポトフの香りで、何故だか笑えてしまった。
指先が震える。関係を変える事は終わらせることより難しい。今まで女たちをズタズタに切り裂いて無下にしてきた私にとってそれは高い壁のように見える。友達だと思っていた関係にピリオドを打つ。愛していると自覚したのか数分前だ。それを他者の前で公にするのにもそれなりの覚悟がいる。私は本当に臆病者だ。なぜ、マーサはこんな私を気にかける?
「ジェイコブが調べればすぐに分かるだろうから、先に言うよ。マーサはやっていないと言っていた。あいつは確かにマフィアと関わりがあるが、アリバイがある。この数週間私と一緒にいたよ。私の借りている部屋付近にある防犯カメラを数台チェックしたらすぐに分かる」
「……なぜ、マーサ・レイニーはマフィアと関わりがある? なぜ、そんな奴とおまえは付き合っているんだ?」
ナタリーは手加減というものを知らない。大昔にナタリーとチェスをしたことがある。相手の先を読み続けるナタリーに勝てたことがない。尋問を受ける人間はこんな思いをしているのか。
甘いチョコレートが逆流してくるような感覚を持つ。
「昔言っていただろう? 違法ファイトクラブがあると……。そこで一番稼いでいる男でね。マフィアに好かれてしまったと言っていたよ」
「いつ言うつもりだった?」
ナタリーは組んでいた腕を離し、私の震える手をゆっくりと掴んだ。その指先が温かくて涙がぽろりと溢れ出す。ナタリーの前では私は弱くてちっぽけな青年になってしまう。
「……さぁ、言うつもりはなかったよ」
「そうか……残念だよ。あいつにそこまでの魅力があるのか私には分からない。おまえの仕事を尊重しないような奴だぞ」
ナタリーは正しい。正しいけど違うんだ。私のこのどうしようもない異常性を丸ごと包み込んで離さない、理解して、利用して、愛してくれるのはあいつだけなんだ。生きている。あいつの双眸のおかげで生きている。あいつの隣で生きていきたい。あいつの隣で死にたい。あいつを殺したい、あいつに殺されたい。あいつだけが私をしっかりと見ていた。私という醜い存在を認識していた。認識して弄んで愛した。あいつ以外に欲しいものなどない。
悲しい事は、失うものなどなにもないと言えない事だ。
「甘えるなよワイアット。そいつは犯罪者だということを胸に刻み込め。ロミオとジュリエットじゃないんだ。甘えるな」
「悲恋にする気はない」
私の善悪の判断基準がマーサになってしまった。私を変えてしまったマーサには責任を取ってもらいたい。責任を取って愛してくれ。
「進退については追って連絡する」
私はマーサが提示した狂暴な願いを受け入れた。飲み込んだら満たされた。私の決断は私の血肉になる。私の骨となる。私に決断を迫ったあなたを私は食べる。美味い。
拘留されているおまえは今、何にを思う? 私に夢中になっているか? 私の事しか考えないでくれ。
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