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 月はいつだってマーサの為にある。  出所後、なぜだかマーサは一層凛として黒いダブルジャケットを着こなせる風格になっていた。ジェンダーレスで儚げな男子に変わりないが、ほんの少しだけ精悍な顔付きをしていた。彼は群れることをしないが、ギャングかなにかに入ればすぐ様昇格していけそうな顔付きだ。それに腕っ節がいい。マフィアが好むのも今となっては分かる。  マーサは貸金庫にある全ての荷物を持って、ふらふらと歩道を歩く。その後ろを私はついて行く。煙草を吸って吐いて咥えられる夜道が好きだ。  月がマーサだけを照らし出す。私はまるで深海にいるようだ。私とマーサの間になにか壁があるかのように、月はマーサだけを照らし出す。羨ましくはない。ただそれでいい。私の光。私の目印。私の道しるべ、私の判断基準。私の愛。 「俺、嘘が好きだったのよ。小さい時から」 「……うそ?」  ぽつり、海面に浮かぶ気泡のように言葉が浮かんだから私はマーサを見つめる。彼の後ろ姿しか私には見えないけれど、寄せては返す波のような自由奔放な彼の心は静寂を保っているように見えた。 「そ。俺にとっては言葉遊びだったんだ。怪我したって嘘つくのは心配されたいから、とかそういう病気あるじゃん」 「ミュンヒハウゼン症候群」 「知らんわ、正式名称出してこないでー、俺、頭弱いんだって。けど、まァそんな感じのやつ? ああいうのじゃなくて、常日頃から嘘つきでね。楽しい思い出も空想の世界のものを引っ張り出して来ていたわけ。俺にとっては遊びなのに」  ぽつり、ぽつり、雨が降るように真実が浮き上ってくる。相手を唯一とした時に語られる真実が浮き彫りになる。優しく愛撫したくなる。  私は煙草を吸い上げ、ふわり、乳白色を吐き出す。夜空に吸い込まれていく。そばかすのように散りばめられた星空だ。 「根付くの嫌って言ったでしょ? あれは、生き辛くなるんだよ。俺にとって嘘をつきながら生きるのはただの遊びで楽しい生き方なんだ。けれど、それは世間様のルールから逸脱している。嘘つきは嫌われる。異常だと言われる。だから俺はパスポートを何枚も持ってるんだ。その時に適した名前と設定で楽しく生きていきたいからね」 「……なら、母親の話も嘘か?」  なにが異常でなにが正常なのか。はかる物差しはあるのだろうか。  罪という、犯罪という線引きを超える人間は悲しき背景に晒されている、そして歪んでしまったんだ。そう見てきた私にジャブを食らわせるマーサ。彼にとって生き易い生き方がそれだった。楽しいことをしていたい、というのは文字通りらしい。 「あんた、嘘ついたでしょ? 病院勤務だって。あれ結構腹立ってね。あぁ……嘘って、信じた側を傷つける行為なんだって気付いたよ。だから母親の話はホント。あんたに嘘をついたことはない」  マーサはFBIのデータになりたくないと常に言っていた。確かに私たちは罪を犯す人間たちを不用意にカテゴライズしていく。FBIでなくても、一般人でもそうする傾向にあるだろう。片親は可哀想。結婚しない人間になにか欠陥がある。どこかでいつもなにかの線引きをしている。私は線引きをする職業についていた。それは正義のために仕方のないことだ。批判するつもりはない。ただ、今の私には合わない。 「あぁ、一点嘘をついていた。義眼はウソだよ。まぁ、あのオヤジから聞いた話だろうから、直接俺は嘘ついてないけどね」  なにを持って異常とするのか? 
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