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「おー、やってるやってる」  楽しげに笑うマーサは貸金庫に入っていた札束では無く、財布に仕舞ってある紙幣を出して、チップだと店員に渡した。彼にとって金は紙同然なことに変わりなく、渡した額はチップというには金額が高い。買収でもされてしまったのか、それとも彼がここの常連なのかは知らないが、酒が2つ出てきた。ここは果物屋の真向かいにある喫茶店だ。喫茶店は普通酒は出さない。  マーサが見つめる先には蜂の巣状態の果物屋が存在していた。警察車両が止められ、逮捕者が出ている。赤と青のパトランプが月明かりを遮断してしまう。 「……自分の居場所を自分で壊す気分は?」  まさか君が通報したのか? なんて野暮なことを訊く人間ではない。嬉々として果物屋を見つめるのだから君は破壊することに楽しみを見つけたのだろう。  酒を舐めるとジンの味がした。グラスの縁をなぞるときゅるりと音が鳴る。マーサは足を組んだ太ももにグラスを置いていた。黒の高級スーツが泣いているぞ。私は近くにあるテーブルにグラスを置いて、煙草に火をつけた。 「他に居場所が出来たのだから、過去を捨てるのは俺にとっては普通のことさ」 「……マーサ」 「あんたの隣に根付くって決めたからね」  ふふ、っと笑うマーサのほおに手を伸ばす。さっきからおかしくなっていたんだ。君を縛り付ける行為を俺は頼んでしまったのかもしれないと。俺は君を手放した方がいいのかと。君にとっての幸せはなにかと考えていたんだ。それなのに、君は私の余計な考えを取っ払う。君で疲弊する私を君は笑う。よほど楽しい人生だろう。 「愛しているよ」  口から出てきたのは頑なに認めたくなかった感情だった。考える前に出てきたその言葉に私は思わず唾液を飲む。嚥下した音が私の鼓膜を貫いた。 「うっわ、感動。まさかワイアットからその言葉を聞けるとは」 「揶揄うな」 「分かった。なら同じ言葉を使うよ。愛しているよワイアット」  にこり、妖艶に微笑んだマーサ・レイニー。月明かりが私たちを照らす。 「それにしても大丈夫なのか? あんなに摘発させて」 「果物屋のオヤジには声かけて外出しろって言ってあるから大丈夫じゃない? オヤジは世話になったから知らなかったで通せるようにした。あとは適当に来るなって言った奴が何人かいるから大丈夫でしょ」  なにが大丈夫なのか私には分からないが、まぁ、いいとしようか。 「マーサ! おい! マーサ! 捕まえんならあいつも捕まえろよな!」  警察に手錠をかけられた男がこちらに向かって叫んでいる。それを見てマーサは手を振りかえしていた。楽しげに微笑んで。
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