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「んっ、まい!!」  とろんとした蜂蜜をかけたパンケーキを頬張るマーサはそう叫んでまたナイフを皿に沿わせる。色気より食い意地か。そんな事を思わせるほどに瞳を輝かせるマーサを見つめる。見ていて飽きないのがマーサという奴だ。  マーサは私の服を着るものだから私はいまだに上半身裸のまま。私を裸にさせたていたいのか、マーサは少しだけ自身の身体に合わない大きな服を着ている。ぶかぶかとは言わないが肩の幅が違うようで、私のものを着るとより女性的に見えてしまう。アンニュイで色素の薄い彼は朝日を浴びながら私の作ったものを食べている。なんて幸せだろうか。月の似合う彼と共に迎える朝。私の部屋に泊まっていたのだから何度も迎えているはずなのに、それとは全く違う幸福な朝。太陽が似合わない彼のはずなのに、今の彼は太陽をも味方につけている。キラキラと輝く瞳と艶やかに流れる銀髪。存在自体が宝石のようだ。大切に仕舞っておきたいほど、美しい。けれど、そうも言えないのがマーサ・レイニーという男。執着されていると知りながら自由を満喫したいのだ。 「よかったよ」 「かなりふわふわ。あぁ、これ食べた女の子片っ端から殺したいくらい」 「……君は殺したいとかいう言葉を使わない。やろうと思えば殺せるんだから」  今でも夜に紛れ、夜を満喫するかのようにファイトは繰り広げられている。水を得た魚のように自由に悠然と人を殴り付けるマーサは楽しげだ。あの果物屋から拠点を移し、戦う為の準備をした日々が忘れられない。マーサの為の違法ファイトクラブ。  マーサは女の子を殺したいとそう嘘か誠か口に出した。私が嘘か誠か、何人かの女の子に作ってあげたよ、と言えばマーサは本当に女の子を殺しに行くのだろうか。ふ、っと小さく笑えてしまった。愚かな私の想像。私を唯一として嫉妬するマーサが可愛らしくて堪らないのだ。私が愛しているのはおまえだけなのに。 「あぁ、もうこんな時間だ。私は仕事に行かなければならないから後は頼むよ」 「……えー、腰痛い」 「今夜のファイト、それを理由に負けたら殺す」  初めて来たマーサの部屋。勝手が分からずキッチンは少し乱雑している。それでも愛を込めて朝飯を作ったんだ。頼むから私を労ってくれ。こんなに大盤振る舞いするような人間じゃないんだ。君の為ならなんだって出来るし、してあげる。ただ、ご褒美をくれ。愛をくれ。私の主食はマーサからの愛だ。愛をあげるから私にもおくれ。沢山の愛を。君と歩むこれからの未来をくれ。 「ワイアット、全然食べてないじゃん」 「君の顔を見ていたら腹いっぱいだよ」 「なら、貰う」  ブルーベリーのジャムが乗ったパンケーキを奪うマーサ。にしし、と笑った彼の背後にある時計が私を急かす。チクタク、チクタク、急げ、走らなければ、仕事に間に合わないぞ。チクタク。それなのに椅子と尻がくっついて離れないのだから困り果てる。おまえはマーサと違って昼間に働いているんだぞ、と私の背後にある太陽が睨み付ける。おまえはマーサほどの才能はないのだから、昼間に馬車馬のように働け、と太陽が言っている。世界は忙しないが、マーサのおかげで輝いて見える。 「美味しいぃ」 「分かったから、シャツを返してくれないか? 外に出られない」 「ワイアットが出られないのならそれは俺にとって、ラッキーだけどね」  もぐもぐと口いっぱいに頬張るマーサ。その為に着ていたのか。私を仕事に行かせない為に。  今朝、パンケーキを焼く前に見たマーサの寝顔。セックスをして眠りにつく彼は幸せというものを体現した顔つきだった。その寝顔を見て、嬉しくて微笑んでしまった。今も同じ顔をしているマーサ。私も同様だろう。  私と君だけの世界。嘘も罪も事件も遺体も、なにもない私たちだけの世界。誰も邪魔する者はいない。 「今夜のファイト、観に来るでしょ?」  私はマーサと共に夜に沈む。
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