19話

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19話

「冬也さん、いってらっしゃい」 出勤するのを玄関で見送ろうとしていると、靴を履き終えた冬也さんがいかにも行きたくなさそうな顔で見てきた。 私が産休に入って家にいるようになってから、あんなに仕事人間だったはずの冬也さんが今にも休むって言い出しそうなぐらい、心配という言葉が顔に大きく書かれてる。 「こんなに仕事を休みたいと思ったのは初めてだ」 「そんなに心配しなくても、何かあればちゃんと連絡しますよ」 「それもあるが……」 「他にも何かあるんですか?」 「今までは会社でも陽菜の顔を見られていたからな。それがなくて寂しい」 どちらかというとそっちの方が大きな理由に聞こえてしまって、まじまじと冬也さんを見つめる。……会社の皆が冬也さんのこんな所見たら、ビックリするんだろうなあ。 「――冬也さん、ちょっと屈んでください」 「何だ?」 素直に少し屈む冬也さんの唇に自分のそれをくっつける。私からキスをするのは、まだ片手で数えられるぐらい珍しい。 「寂しいのは冬也さんだけじゃないですよ? 待ってるので、なるべく早く帰ってきてくださいね」 「……今ので更に行きたくなくなった」 ……逆効果だった。おかしいな。これで宥められると思ったんだけど。 「本当にもう出ないと遅れちゃいますよ」 「はあ……分かった。さっさと仕事終わらせて早く帰ってくる」 「はい。行ってらっしゃい」 産休に入ってからなるべく作るようにしているお弁当を冬也さんに渡すと、さっきのお返しのようなキスをしてから玄関を出て行く。その後ろ姿が見えなくなり、さっきのやり取りを思い出して少し恥ずかしくなっていると、お腹の中から感じる力強い蹴り。 「痛たたた……起きたのー? お母さんそこ蹴られると痛いから、場所を変えてくれると嬉しいんだけどなあ」 何でだろう。朝から何やってんの?って言われてる気がする…… 部屋の中に戻りながら、まだ産まれていない子供にツッコまれているような不思議な気持ちになった。
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