3話

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翌朝出社してからずっと、どうしてもちらちらと課長を見てしまう。 どのタイミングで声をかけよう。課長と2人きりで誰にも聞かれずに話をするなんて、会社では結構難易度高いかもしれない。 仕事が終わってから時間を作ってもらう?でも、課長っていつも私より帰るの遅いんだよね…… お昼休憩に外でのランチに誘ってみようか。仕事の相談があるって言えば、周りもそこまで気にしないだろうし。 「――新木、ちょっといいか」 「はい。何でしょうか?」 「一緒に来てくれ」 要件を何も言わず部署を出ていく課長に、戸惑いながらも着いていく。未だかつてこんな呼び出し方をされた事は無かったんだけど、私何かとんでもないミスでもした……?確かにあの出張以来、あんまり仕事に身が入ってなかったけど…… 「この辺りなら大丈夫か……何か俺に話があるんじゃないのか?」 「え?」 「朝からずっと視線を感じていたんだが」 人気のない廊下で振り返った課長の言葉に、驚きが隠せなかった。 気付かれてたんだ……そんなに見てたのかな。でも、話しかける手間が省けたのはラッキーかもしれない。 「課長に大事な話があります」 「――分かった。2人きりの方がいいだろう。資料倉庫行くぞ。あそこなら滅多に人が来ない」 そう言って歩き始めた課長と一緒に資料倉庫室に向かうと、そこは本当に人気が無くシーンと静かだった。 「それで……話というのは? 仕事の事じゃないんだろう?」 「……はい」 1つ深呼吸をして、課長を見上げる。 「私、妊娠しています。課長との……あの時の子です」 「そう、か……分かった。俺は――」 「あのっ……私は、この子を堕ろすつもりはありません。1人で産んで育てるつもりです。あの日の事は、課長に沢山お酒を飲ませてしまった私に原因がありますし、課長に迷惑をかけたりはしませ……」 「馬鹿なことを言うな!!」 「っ……」 急に大声を出されて、体がビクッと竦む。 「……すまない、大声を出して。だが……っ」 「課長……?」 こんなに取り乱している課長を見るのは、初めてだった。仕事でどんなトラブルが起こっても、いつも冷静に対処する人なのに。 「――あの日の事は、お前が悪いわけじゃない。そもそも俺が……とにかく、俺だって堕ろせなんて言うつもりはない。お前が嫌じゃないのなら産んで欲しいと思っている。だが、1人で育てるなんて駄目だ。シングルマザーは、考えている程甘いものじゃない」 「でも……部下と出来ちゃった結婚なんて、課長の出世に響くんじゃ……」 「そんな事どうでもいい。それで出来ない出世なら、そもそも俺に実力がないだけだ。それに、出世と天秤にかけるようなことじゃないだろう? ――俺と結婚して、2人で育てよう。お前にも子供にも、絶対に不自由な生活はさせないから」 あまりにも真摯な課長に、それでも1人で産みますとはとても言えなかった。
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