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 このホ短調のピアノ協奏曲は、モーツァルト二十一歳のときの作品である。故郷を離れパリを目指して旅立つ頃。神童と騒がれた後の人生は苦難がいっぱいであったが、母はまだ健在であった。  第一楽章アレグロ。クララの指は鍵盤を舞い、モーツァルト独特の優美な音をつむぎだした。  第二楽章アンダンティーノ。この作曲家には稀な短調である。凛とした美しい旋律に陰影が織り込まれていた。語りかけるようなピアノ独奏に、人々の感嘆の息がもれた。  第3楽章ロンド・プレスト。力強く走るピアノ、追いかける管弦。情熱の本流は、しなやかで気品を保ちながら続いてく。カデンツァを弾くクララに父は満足げにうなずいた。  協奏曲の第3楽章最後の一音まですべて終わると、大きな拍手が湧きおこった。全員席を立ち、ピアニストのデビューを讃えた。クララはまた元の内気な少女に戻って、ぎこちなくお辞儀をするのだった。  称賛の渦のなか、クララは母の姿を探した。しかし、小さな少女は人の垣根に阻まれて視界を遮られたままだった。身動きもとれず、ついに見つけることはできなかった。  
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