六花奇譚

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今年初めての雪が降った。 私が生まれたのは雪の多い土地で、この季節になると毎日のように雪かきに追われる。 ずっと昔からそうだ。 雪と一緒に育った私たちは手慣れたもので、スコップでさくさく切り分け、手押し車にのせて捨て場に運ぶ。 そうして壁のようにせせり立つ雪の間を通って学校やら仕事やらそれぞれの場所へ行く。 私は雪の壁が好きだ。 見えるはずの家や畑を視界から隠して、こちらを欺いているみたいだ。 それでもずんずん進むうちにあっという間に目的地についてしまう。 集落の人は無駄骨を嫌い、あらかじめ決まった道しか雪かきをしない。 だから周りを見えぬ白い壁に囲まれていても、私たちは必ず見知ったどこかへたどり着く。 雪の壁は私たちを守る城壁でもあった。 遠くへいくことはできないけれど、よそ者もこの雪を越えては入ってこられない。 小さな私はひとりでよく散歩をした。 どこかへ行きつくはずの道がどこへもたどりつかなかったある日、私は雪女に会った。 「子どもか」 どこにも続かぬ雪の壁の道の真ん中に雪女はいた。 絵本で見たのと一緒だ。 顔も髪も白くて、白い着物を着ている。 「私は六花。お前の名はなんという」 震える私に六花は聞いた。 「さとる」 「さとる」、六花は口の中で私の名前を転がす。 「さとる、お前を助けよう。でもこのことは誰にも言ってはならないよ」 そう言った途端、六花の姿は散り、道の先に見慣れた家の軒先が現れた。 翌年もその翌年も私はどこにも続かぬ道に迷い、六花と会った。 「さとる」 私を見るとにこりともせずそう呟く。 一年に一度、六花は私の名を呼ぶ。 その繰り返しを重ねるうち、やがて私は彼女に慣れた。 慣れれば呟きのうちに在るものにも気がつく。 初めて六花に会ったときから十年が経つ。 十年も経てば私も変わる。 あの冷たい呟きも六花にしてみれば精いっぱいの微笑みだったのかもしれない。 私は彼女に魅入られた。 もしも雪の壁の中でよそ者に会っても名を教えてはならない。 名を呼ばれれば、よそ者の世界に連れて行かれてしまうから。 六花は待ち続けている。 よそ者に遭っても子どもならば見逃してくれる。 けれど十五の年を過ぎたら逃れることはできない。 集落にはしきたりがある。 生まれたばかりの子どもには、女なら男の名をつけ、男なら女の名をつける。 そうして十四歳の最後の晩、子どもは自分で自分の名前をつける。 この世界にとどまりたいのならば新しい名を。 よそ者とともにいきたいのならばそのままの名を。 きょう、今年初めての雪が降った。 六花はまもなくやって来るだろう。 「さとる」と呟く六花は、そのとき初めて笑顔を見せるのかもしれない。 秒針が刻々と動いている。 私はまだ決めかねている。
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