迷いクロスロード

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迷いクロスロード

 おにぎりとサンドイッチなら、カナはサンドイッチ派らしい。  買い足しと洗濯を済ませた俺達は、海浜公園に訪れた。絨毯(じゅうたん)のような白くて薄い雲が空を覆い、水平線の近くで途切れている。  ドーム状の屋根の下、ベンチに座っている俺は、おにぎりを(ほお)()った。遅めの朝食に、早めの昼食。程良い梅の酸っぱさが鼻から抜けていく。  海まで少し距離はあるものの、さざ波の音が耳に届いた。 「伊藤が迷惑がってるのは……なんとなく、わかる」  カナは半分ほどサンドイッチを食べたところで、すっと立ち上がった。 「でも、乗せてくれたし、優しかったから。それに甘えてた」  俺は口に含んだ諸々(もろもろ)を飲み込んだ。 「嫌、だったよね。一人旅、邪魔されて」  どうだろう。確かに余計な金は使ったし、思い通りに動けなかったのも嘘じゃない。気も遣う。物資も減る。ただ、嫌で堪らなかったかと問われたら――案外、そうでもない。 「ごめん。ありがと。遠くまで連れてきてくれて」  カナは全てを精算するかのように、そう口にした。今にも別れそうな雰囲気だが、リュックは車の助手席に置いたままだ。 「あたし、海の方、見てくるね」 「……ああ」  あの公園前で、カナを拾った時のことを思い出す。俺がカナを拒んだのは、不健全だと考えたからだ。  いくら成人しているとはいえ、出会ったばかりの男女が同じ車で寝泊まりするだなんて、まともじゃない。何が原因で社会的に抹殺されるか分からない時代、リスクは避けて然るべき。だが、それも――俺の方から破ってしまった。  やましい気持ちなんてない。混じり気のない同情だ。  持っている人間が、持っていない人間にする、上から目線の(ほどこ)し。求められたから、与えてやった。断ることだって出来たはずなのに。  それは間違いなく偽善で。他人を優先する自己犠牲。  会社に居る時と変わらない――いつもの、だった。  旅をするのは、退屈を紛らわす為。  そうじゃないだろ。  代わり映えしない日常を引っ繰り返す。新しい自分を見つける。ささやかな、きっかけ。  道端でヒッチハイカーを拾うような、こんな出会いを、ずっと俺は待っていたんだ。  それなのに、どうやって他人に押し付けるかばかり考えていた。俺は自ら、楽しむことを放棄していた。  あいつは邪魔者なんかじゃない。迷惑なのは、お互い様だ。  不健全、大いに結構。どう周りに見られるかなんて知ったことか。  カナが『降ろして』と言うまで、俺は二人旅を楽しみたい!  心の(もや)が晴れたかのように、俺は前を向いた。  あいつに謝らないと。カナの奴、どこまで行ったんだ。  いっそ車で待った方が利口なんだろうが、どうにもカナの物言いが引っ掛かって、俺はベンチを後にした。  海水浴場とは真逆に歩いていくのは見ていた。となると、テトラポットがあった岬の方だろうか。  海へと近付いていくにつれ、芝生と砂が入れ替わる。平日とはいえシーズン期間だ、家族連れの利用客が多い。人の間を()うようにして海岸へと進む。 「あいつ、あんな所に……」  ゴツゴツした岩肌の中に、舗装された一本の道。海面までは高さがあるようで、海釣りを楽しんでいる麦わら帽子の親子は、足をブラブラとさせている。カナは岬の先端へ向かって、しずしずと歩いていた。  景色を眺めているんだろうか。それにしては、足元を見ているような。  後ろ手に組んで、抑えた色味のショートカットが風に揺れていた。  妙な胸騒ぎがする。  遠くの方まで旅をしたい――そうやって車に乗り込んできたカナが、さっきは『ありがと。遠くまで連れてきてくれて』と礼を言っていた。  カナは俺以上に、旅の目的が不明瞭だ。けれど衝動だけで旅をしているには、合点がいかない部分も多い。  どうしてヒッチハイクという手段を使ったのか。あいつは、どこに行きたかったのか。  海に来たかったわけじゃない。あくまでも遠くへ行きたかった。  以外の、遠くへ。  嫌な予感が急ぎ足に変わる。それを打ち消すかの如く、俺はカナの方へ駆け出した。 「カナ!」  一瞬、驚いたように振り返ったカナは、最後に薄く笑って――  そして、そこから飛び降りた。  息が止まる。心臓を鷲掴(わしづか)みにされ、時間さえも止まっているかのようで。  岬に居た人は、俺の大声に気を取られ、誰も落ちていくカナの姿を見ていなかった。 「馬鹿野郎が……!」  俺は止めた足を無理やり動かし、落ちた場所を覗き込んだ。海の色は青黒く、まだ白い水泡が残っている。  浮かんでこない。くそ、浮かんでこない!  頭が真っ白になった。冷静に物事を考えられない。救急、消防、ライフセーバー。次から次へと対処法が脳裏を()ぎっては、足枷(あしかせ)になっていく。  迷っている暇は無い。  考えるのを止め――俺はカナと同じように、飛び降りた。着水する寸前、後ろの方から悲鳴が聞こえた。  水中で目を開くと、塩気にやられて痛む。それでも見開いて、俺はカナを探した。潮の流れは速くない。これなら遠くまで流されてはいないはずだ。  ぼやけた視界の中で、微かに肌の色が見えた。俺は海面に顔を出し、大きく息を吸い込むと、再び潜る。  居た――カナだ。間違いない。間違えるはずがない。  平泳ぎの要領で近寄り、その力ない右腕を掴み、引っ張り上げる。細い腰に腕を回して、全身全霊のバタ足。それでもカナの体は、(なまり)のように重かった。薄着とはいえ、水分を含んだ服が足を引っ張っている。  必死で海水を()き分けた。  息が、持たない。結んでいた口元から、空気が漏れ出す。  もう少しで海上なのに。届かない。苦しい。  ここまで、か。  途切れゆく意識の中で……ふと、体が軽くなるのを感じた。
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