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2 アルバイト開始
幸佑の部屋に行くのは火曜と金曜になった。火曜は掃除と洗濯で金曜は洗濯がメイン、両日とも一応飯を作る予定にしている。作るといっても米と味噌汁にせいぜい一品つけるくらいで、それも母さんの手伝いをさせられて覚えたものくらいだから焼いたり混ぜたりがいいところだ。
通い始めて二回目の今日、ようやく菜箸やら細かい調理道具が揃った。これなら今夜は味噌汁くらいは作れるだろう。っていうかオレが食べたい。
気合いを入れて朝から部屋に来て掃除をしたが、物が少ないからかすぐに終わった。むしろ洗濯のほうが足りないものが多くて、最初に洗濯機周りを確認しておくんだったと反省しているところだ。
そもそも高そうな洗濯機があるのに洗剤や柔軟剤がないのはどういうことだ。理由を聞くと「下着もシーツも全部クリーニングの人に取りに来てもらってたから」と返ってきた。乾燥もできるんだし下着くらい自分で洗えよと思ったが、それよりも「洗濯が面倒そうなやつは捨ててたし」という言葉に目眩がした。きっと一回着ただけで捨てられた服が何着もあるに違いない。
昨日、クリーニングに出したばかりだというランドリールームは小綺麗なもので、とりあえず洗濯物を入れるカゴを用意することにした。
つーか、ランドリールームってなんだよ。セレブか? そうだった、こいつはセレブニートだった。
「脱いだものはカゴに入れとけ。仕分けも何もしなくていいから」
「仕分けって何?」
「……とにかく、ここに入れろ」
「わかった」
「まずは洗剤とか買いに行くか」
「ポチッちゃえばいいんじゃない?」
そう言って幸佑がノートパソコンを出した。いつも使っているという通販サイトを開いてしばらく見ていたが、「どれがいいかわかんないや」と振り返る。
「いつもネットで買い物してんのか?」
「ゲームとか服とかすぐ届くから便利だよ? あと外に出るのが面倒なときはご飯も。クリーニングだってポチッてしたら来てくれるし」
「健康な若者なら少しは外に出ろ。歩け、動け」
「えぇー面倒くさい」
「やかましいわ」
ウダウダ言う幸佑を無視して衣類用洗剤をポチッとし、ほかにも掃除用洗剤やスポンジといった日用品をまとめてカートに入れた。「これ何に使うの?」と訊いてくる言葉にいちいち返事をしながら、合計金額をスマホにメモる。
「あとで払うわ」
「別にいいよ。大した金額じゃないし」
「こういう分もって、おばさんから余分にバイト代貰ってんだよ」
「別にいいのに。どうせ俺が払っても出どころは同じだよ?」
「気持ちの問題だ」
「そんなもん?」
「そんなもん」
「ふーん」と言いながら幸佑が別のページを開いた。そこはドラッグストアのサイトのようで、お勧めのサプリメントや季節柄売れているという薬なんかがずらりと並んでいる。なんとなく何を買うのか見ていたら、迷うことなくスキンの画像をクリックした。しかもまとめ買いときたもんだ。
「そんなもんまで通販かよ……」
「え、だって便利だもん。それにないと困るし」
「これ、薄くて超いいよ? コウちゃんもいる?」なんて聞きやがる幼馴染みの綺麗な額を、ピンと指で弾いて黙らせた。
「痛いよコウちゃん」
「うるせぇ。そういうもんを平然と勧めるな」
「えー。だって健全な男なら必需品でしょ? ……もしかしてコウちゃん、」
「うるさい黙れ何も言うな」
「え? ほんとに? ちょっと待って、コウちゃんって童貞さん?」
「ズバッと言うな、傷つくだろうが!」
「え? ほんと? だってもう二十歳超えてるよね?」
「やかましいわ」
本気で驚いているっぽい幸佑の額に、さっきより強力なデコピンをかましてやった。
(これだからモテモテのイケメンは……)
なんでも自分を基準に考えやがってと心の中で毒づく。
自分で言うのもなんだが、性格はそんなに悪くないと思っている。ところが平凡な顔立ちにメガネっていうのは女子受けがよくないらしく、これまで女の子と付き合うところまでいったことがない。
(いや、顔じゃない。きっとこの身長のせいだ)
父さんは結構な身長があるのに、なぜかオレの体はその遺伝子を見事に無視していた。一六〇センチちょっとしかない身長は女子にとってスルーされる高さらしく、仲良くなっても恋愛対象としては見てもらうことができない。逆に野郎たちにとってはからかいネタにピッタリなようで、大学に入ってからも頭を撫でられたりする有り様だった。
いまだって幸佑が座っているからデコピンできただけで、立っていたら額を的確に狙うのは難しい。昔はオレより小さくてかわいかったのにと恨めしく思いながら、「そういや身長は中一のときに抜かれたな」なんてことまで思い出してしまった。
(体だけは立派になりやがって、この健康優良児め)
そんなことを思いながら、スマホに買い物リストを入力していく。
「ねぇ、夜ご飯はどうするの?」
「そうだなぁ。混む前にスーパーに行っとくか」
とりあえず今夜の分だけなら大荷物にはならないだろう。そう思って答えると、なぜか幸佑が目を見開いた。
「え? 買いに行くの? 面倒じゃない?」
「歩いて五分でスーパーに着くのに面倒とか言うなよな。オレんちだと自転車かっ飛ばしても十分だぞ? それを週二回は通ってんだぞ?」
「ふーん。あっちに住んでたときも買い物なんて行ったことなかったから、知らなかった」
なるほど、おばさんもネットでポチッと派か。そういえば中学まで一緒に飯を食っていたけど、その後は幸佑がどんな食生活をしていたのか知らない。たぶん、いまとそう変わらない状態だったんだろう。
(たまに母さんが容器に料理入れて持って行ってたっけ)
おばさんはそれをすごく喜んでいた。おばさんいわく、母さんの手料理は懐かしくて優しい味なんだそうだ。毎日食べているオレにはよくわからないが、ちょっとだけ誇らしくなったことは覚えている。
そんなオレは、料理のお礼にとおばさんがくれる高そうなお菓子が楽しみだった。母さんと一緒に「こっちはしっとり系クッキーだ」とか「高級カカオだって」とか言いながら食べていたのが懐かしい。
「とにかく食材は買いに行く。せっかく菜箸とか持ってきたし、ピッカピカの鍋とかもあるんだ。それに外食ばっかじゃ飽きるだろ」
「そう?」
「少なくともオレは飽きる」
「コウちゃんがそう言うならいいけど」
「あ、先に言っとくけど、オレが作るのは簡単なヤツだけだからな。母さんの手伝いで覚えたもんくらいしか作れねぇぞ」
「うん、わかった」
高校までは台所なんてほとんど入ったことなかったが、大学に入ってからは料理の手伝いをさせられるようになった。最初は面倒くさいなと思っていたものの、中学の頃から買い物担当だったおかげか、買ってきた材料がどんな料理になるのかわかるのは楽しい。いまでは献立のことを考えながら食材を見るようにもなった。
(そもそも、買い出しを母さんに任せてると危なっかしいんだよな)
ぽやぽやで小柄な母さんは、よく買い忘れをするわ重い物をフラフラしながら持つわで見ていられなかった。そういうこともあって高校に入る前から買い物担当を引き受けている。掃除や洗濯は母さんがしてくれるが、幸佑の部屋の掃除をする練習だと思って自分の部屋の掃除を始めたところだ。
(もしかして、オレが一人暮らしをしても大丈夫なようにって考えてくれてるんかな)
だからこの話を持って来てくれたのかもしれない。幸いなことにいまは電車で通える距離だから実家暮らしをしているが、社会人になったら距離とか関係なく一人暮らしをしたいと思っていた。高校卒業してすぐに一人暮らしを始めた幸佑に触発された部分もあるし、一人暮らしに憧れるようにもなった。
そんなオレにとって、今回の幸佑の世話係はいい予行練習みたいなものだ。それで破格のバイト代が出るんだから我が儘や文句なんてあるはずがない。できるだけのことはやってみて、今後の自分の一人暮らしに活かしたいなんて下心も十分にある。
「買い物行ってくるけど、何かほしいもんとかあるか?」
「ん~、じゃあ炭酸水」
「炭酸水?」
「この炭酸水を二本」
ノートパソコンの画面には緑色のボトルが映っていた。たしかお高いやつで、知ってはいるが買ったことは一度もない。こういうところも金銭感覚が違うんだなと思いながら、マイバッグ代わりのリュックを背負って玄関を出た。
「おいしい」
「そりゃどうも。つっても、野菜切って惣菜の素で炒めただけだけどな」
「ご飯も味噌汁もおいしいよ?」
「高い炊飯器が活躍したのと、母さんに持たされた出汁のおかげだな」
「そっかぁ、ダシかぁ」
まったく使われた形跡のない高そうな炊飯器で炊いた白米は、たしかに家で食べるのより美味しく感じる。
(米の違いも大きそうだな)
米は通販で買っておいたと鼻高々に言うので見てみたら、有名どころの高級コシヒカリだった。「それしか名前わかんなかった」とは幸佑の言葉だが、名前を知っていただけえらいと褒めてやるべきだっただろうか。
味噌汁の出汁は、母さんが冷蔵庫にストックしている干し椎茸の出汁にいりこ出汁をブレンドしたものだ。味噌は、母さんに口すっぱく言われている塩分控えめの小さいサイズをスーパーで買ってきた。
高血圧気味な父さんの体を思っての種類だろうが、幸佑の体にもよさそうだと思って選んだ。これまで外食まみれの食生活だから塩分多めだっただろうし、若くてもいまから気をつけるに越したことはないだろう。
あとはナスが安かったから、豚肉と合わせて惣菜の素でサッと炒めた。オレがずっと通うわけでもないから、下手に調味料を買い揃えるよりはマシだと判断した結果だ。
ついでに豆苗も入れてみたけど悪くない。根っこからまた生えるから、あとで日当たりのよさそうなベランダの窓際に置いておこう。豆苗は主婦の味方ということで母さんもよく使うし、二度回収するまで育てるのが母さん流だ。
「うん、おいしい」
「そりゃよかった」
うんと頷きながら食べる幸佑を見て、ふと、一人きりの食事が多いんだろうかと思った。
たまにはセフレと食べることもあるだろうが、学生じゃない幸佑に一緒に飯を食べる友人がいるとは思えない。高校のとき、モテまくる幸佑は学年どころか学校中で浮いていた。おそらくあのときから友達は多くなかっただろう。そんな幸佑に、卒業しても一緒に食事をするような友人はいるんだろうか。
(いるようには見えねぇんだよな)
たくさんいるセフレだって、いつも会っているわけじゃない。
「……飯だけでも、もう少し作りに来るか?」
「え?」
「いや、外食ばっかじゃ、やっぱ駄目だろ。夏休みの間ならオレも時間あるし、火曜と金曜以外でも来れるぞ?」
「勉強は?」
「課題はあるけど大した量じゃない。それにサークルにも入ってねぇし、オレのほうは大丈夫」
「そっかぁ。うん、コウちゃんのご飯、おいしいからなぁ」
「じゃあ決まりだな。そうだな……、月水金はどうだ?」
「俺のほうは何もないから、いつでもいいよ」
「じゃあ月水金の午後で。掃除と洗濯は、その都度見てから考える」
「わかった」
モグモグと食べる幸佑を見ながら、もう一つ言っておかなければいけないことを思い出した。
「あー、あとな、その、人を呼ぶ日は遠慮するから、メッセージ送っておけよ?」
「人を呼ぶ日? ……あぁ、セフレに会う日ってこと?」
「さすがにそういうシーンに出くわしたいとは思わねぇから」
「うん、わかった」
こうしてオレのバイトは、当初よりも少しだけ拘束時間が伸びることになった。
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