1

2/2
11人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ
 不均等に均された地面の不自然さには気がついていた。風に揺れる欅の枝の動きもどこか不自然で、恐らくその影には随分とたくさんの人間が隠れているに違いない。  思ったとおり、数歩歩いたところで大地が割れた。気づいた時には、地面にぽかりと開いた落とし穴の中から、隆元はぼんやりと故郷の安芸とは色味も高さも違う山口の空を眺めていた。 「馬鹿だなぁ、毛利の山猿!」 「こんなものにも気づかないなら、毛利なんか尼子に一呑みだぜ」  隆元――元服前の毛利少輔太郎が、山口にある大内家に出向いたのは、十五の冬のことだった。  その頃、父は尼子から大内へ舵取りをして間もなくで、尼子から身を守る為、より大内に近づく必要性があった。元服を間近に控えた嫡男を大内家に預けたのもその為で、実質上の人質である。  もっとも毛利の嫡男を迎え入れた大内家は、決して、少輔太郎を粗略に扱いはしなかった。山口に到着して間もなく行われた元服の儀では、大内家の当主である大内義隆が直々に烏帽子親を勤め、自身の名前の一文字を与えて隆元と名を改めた。大内に付き従う重臣や家臣からの扱いも今のところ、そう悪いものではない。 「どうした、山猿?お前、山猿の癖にそんな穴も登れないのかよ」 「山猿は土まみれがお似合いだ」  囃したてているのは大内家の重臣陶家の嫡男で、後ろにいるのは弘中隆包か。後ろでおろおろしているのは人質仲間の天野の倅だろう。その向こうには大内義隆の養子である大内恒持のいかにも公家然とした白い面が見える。  毛利の本拠地である郡山は尼子戦略にとって欠かせない土地なので、山口の大人達は皆、毛利の倅にある程度の気遣いを見せる。しかし同じ年頃の少年達は、あくまでも正直だった。相手が大内に比べればはるかに小身の毛利家の、それも人質ともなれば、何をしたって文句は出ない。  ばさばさと降ってきた土塊や枯れ草を、軽く頭を振ることで振り払う。かなりの大きさのある落とし穴だが、落ちた時に受身を取ったお陰で幸い、どこも傷めずに済んだ。まったく、馬鹿馬鹿しくて笑う気にもならない。こんなくだらないことに使う労力があるのなら、どうしてその情熱をもっと他のことに生かさないのか。 「――そなた達!何をやっておるのじゃ!」  年齢に似合わぬ諦念を口許に浮かべた隆元の頭上に、けたたましい声が降ってきた。落とし穴の縁にいた少年達が、一斉に「げ」と呟く。蜘蛛の子を散らしたように去って行く少達の足が地面を掻いて、さらに土埃やら何やらが舞い散って来る。目をしばたたきながら、隆元は穴の縁に手をかけた。 「このように阿保みたいなことばかりして、情けないとは思わぬのか!今日という今日こそは、お館様に言いつけてやろうぞ!」 「――姫。私が勝手に穴に落ちたのです。その者達の咎ではない」  穴の縁に手が届けば、後は腕の力だけであっけなく地上に這い戻ることが可能だ。落とし穴から現世に舞い戻った隆元の言葉に、声の主は振り返った。  大きな黒い目は濡れたように輝き、肩の下で切り揃えた黒髪は属に「緑の」と形容されそうな光を帯びている。肌は抜けるように白く、小さめの唇は紅など塗らずとも艶やかに赤い。あと数年たてば、文句なしに西国一の――いや、日の本一の美姫と呼ばれることだろう。 「隆元、そなたもそなたじゃ!男ならばやられてばかりいないで、たまにはやりかえしたらどうなのじゃ!」  大内家の重臣である内藤家は、現在の当主義隆の母の実家でもある。先代当主の義興は、大内家の正室は都から迎える伝統を破って、幼馴染である内藤家の娘を深く愛した。  代々の重臣である権威と、お館様の母君の血筋――  内藤興盛の娘、緋奈姫は山口の人々に「お館様の姫君」と呼ばれていた。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!