異身同心

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 どれほどの時間が経ったのだろうか、彼女はいつの間にかいなくなっていた。風を少し感じるから、きっと扉が開けっぱなしになっているのだろう。 ……そんな不用心な部屋、こっちから出て行ってやる。そう思い、ベッドの下から這い出ると、「何かお力になりましょうか?」と突然、優しげな声がした。  驚いて声のした方に視線をやると、ぼんやりとした光に照らされ、天使のようなものがスウと浮かんでいた。   「あ、あなたは、天使ですか⁉」  私が興奮気味にそう尋ねると、天使らしき生き物はフフッと笑って、「ほお、そう尋ねると言うことは、あなたには私が天使に見えるということですね?」と、何故か満足げに言ってきた。 「はい!見えます!立ち姿がとてもお綺麗だったのでビックリしました!」 「それは、それは。あなたも、Gさんなのに……可愛げがありますね」  少しムッとしたが、気にしないことにした。  何と言ったって相手は天使なのだ。 「それで、あなたは、このままでいいんですか?何かとても悲しんでいるように見えましたが」  天使が再び聞いて来た。  私は、ここぞとばかりに今までのいきさつを話し始めた。  夢中になって話している途中、何度か天使に目をやると、天使はずっと爪をいじっていたが、天使なので許すことにし、話し続けた。 「だから、このままの姿ではどうしようもないんです……今すぐ変身できたらと思って……」 「ああ、それで月に?」 「はい……でもどうせ迷信です。それに私が月だと思って祈っていたのは、ただの街灯の明かりでした」 「あら、ホントだ」  窓の外を見た天使は、同情するように少し笑った。そして、「自分は見た目が全てではないと思いますけどね~」と言った。  天使にはきっとわからない、存在を全否定される気持ちなど。 「……私は所詮、一目見ただけで気持ち悪がられる、名前すら口にしたくない存在なんですよ」  自分で言っていて、余計に悲しくなってしまった。この部屋にいる意味ももうない。そんな私の様子を見た天使は、「では、取引をしましょう」と今日一番の明るい声で言った。 「取引?」  部屋を出ようと踏み出し始めた足を止め、振り返った私を、天使はお手本通りの反応だと笑い、「はい、取引です。自分があなたを全く別の姿に“変身”させて差し上げます」と言った。 「本当ですか⁉」  思ってもみない提案を受け、飛び上がって喜ぶ私に天使は、「はい、でも変身させる代わりとして、あなたのことを他人に話す権利をください」と続けた。 「他人に話す権利?……そんなことでいいんですか?」 「……そうですね、あなたにとっては、そんなことかもしれませんね。でも自分にはとても価値があることです。どうでしょう?自分に、あなたの話をいつでも、どこでも、誰にでも、好きなように話していい許可をくれるだけでいいんです」  取引なんて言うから、寿命や魂と交換、みたいなものをイメージしていたから、そんなことでいいならと私は快諾した。  すると天使は、「それでは、詳細をご説明させていただきますね」と、どこからともなくレストランのメニューのような本を出し、「変身プラン」なるものを説明し始めた。  開いたメニューに載っていたプランは二通り。  左側のページには“しゃべれるデカバッタ”プラン。右側には“しゃべれないまあまあかっこいいおじさん”プランの文字。 「……それぞれどんなプランなんです?イマイチ想像ができないって言うか……」 「こちらは、しゃべれるデカバッタになれるプラン、そしてこちらが、しゃべれないまあまあかっこいいおじさんになれるプランになっております」  鉛筆で書かれたプランの名前を指しながらそう言ったきり、天使は黙ってしまった。説明不足にも程があるが、私は迷わず“しゃべれるデカバッタ”を選んだ。 「あら、人間にならなくていいんですか?もし、彼女が、Gよりもバッタの方が嫌いだったらどうするんです?さっき外見が大事って散々言っていたじゃないですか」  私の回答に天使は、怪訝そうな顔でそう尋ねてきたが、私の決意はすでに固まっていた。外見の大切さは、嫌と言うほど知っているが、それと同じくらい、話ができることの大切さも知っている。会話ができるなら、多少見た目のハンデがあったとしてもなんとかなるのではないか。 「いいんです!しゃべれるデカバッタでお願いします!」  私がそう答えると、天使はニヤリと笑ってから、私の目の前に人差し指をピンと突き出したカと思うと、その指先にぽっと火が灯った。  私はその灯りから目を離すことができなくなった。 「それでは、いい時間をお過ごしください」  そんな声と共に、フッと吹き消され、辺りは真っ暗となった。
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