本編

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 俺の家の隣には豪邸が建っている。うちのクラスの花井の家だ。  花井は美人だ。成績も学年トップだ。イエスとノーをはっきりと言うテキパキとした性格で、委員長もまかされている。けれど、高校生なのに、何故かちょっと近寄りがたい雰囲気を醸し出している。何故だろうか。  家も隣でクラスも同じであり、花井と俺は幼い頃はそれなりに一緒に遊んでいたような記憶がある。だがそれも小学校に入学するころまでだったろうか。いつの間にやら話す機会があまりなくなっていった。そんな間柄だ。  そういえば中学の頃に、海外へ出掛けていった花井一家が、ものすごい大量の荷物を抱えて帰ってきたことがあったような気がする。お金持ちともなるとお土産もあんなに要るものなのか、と首をちょっと傾げた記憶がある。  高校3年の夏。帰宅部だった俺は家で庭の草むしりをしていた。すると、隣の家の塀が、ギリギリ人間がひとり通れるほどに崩れていた。豪邸だが、由緒ある、つまり古い家だ。劣化したのだろう。  思わず穴の向こうを、草をかき分けて覗き見る。  花井がいた。サンルーフに座っている。だが、花井は何と『二人』居た。  だが、片方の花井は、頭や背中を、種々様々色とりどりの配線で繋がれている。  もう片方の花井は、ベッドに腰掛けて動かない。顔も、自分の知っている花井とはずいぶんちがって、痩せてやつれている。 〈数学3B・現代国語問題集インストール完了〉 〈クラスメート・学内教師の情報更新完了〉 〈休み時間清掃用プログラムを………〉  そこで俺の足元の枝が音を立てて折れる。  プーップーッと警告音の様なアラームが鳴り、 〈周囲に異常を検知。休み時間清掃用プログラムインストール強制中止〉  配線で繋がれていた方の花井の瞼が機械的に落ちる。 「誰?」  ベッドから弱々しい声が聞こえる。 「え、いや、それはこっちも聞きたい……んだけど……」 「横山君?」 「うん」 「話すの、すごく久しぶりだね」 「なあ、あのさ………」 「私ね、実は海外旅行中に心臓移植して………それでも、ダメだったの。でも、どうしても、高校だけは………卒業したくて、だから……パパとママに、買って貰ったの。この子は、海外の研究所で、開発されていたアンドロイド」  どうみても人間にしか見えない。クラスの誰ひとりとして気が付いてもいないだろう。あまりにも精巧なロボット、いや、アンドロイドというらしい。 「皆には、秘密にしてね」 「い、いいけど………」  しかし、この出逢いが思わぬ出来事を引き起こすとは、俺らは思ってもいなかった。 「エラー」  ポツリと呟いた花井アンドロイドが、箒を片手に教室の真ん中で立ち尽くし、虚空を見つめている。  その様子の異常さにざわつく教室。  そうだ、〈休み時間の掃除のプログラムのインストール〉の真っ最中だった。俺が見つかったのは。  あの時に俺が闖入したせいで、「休み時間のプログラム」が中止し、バグったのだろう。その場で突っ立っているアンドロイド花井の手を思わず掴み、 「こいつ調子悪そうだから!!保健室連れて行く!!」  ダッシュで教室を飛び出した。走りながら 「エラー」 としか呟かない美人委員長。保健室なんて役に立つもんか。  裏門から学校を飛び出して、真っ青に晴れた通学路を、花井の家を目指して走りだす。  クラスの高嶺の花と、初めて手を繋いで走る。  片思いしている幼馴染みと、初めて手を繋いで走る。  この花井がもしも本物だったら、きっと叶わなかった夢。それが、こんな形で叶うとは。いったい、喜んでいいのやら、そうでないのかわからないまま、全力疾走する。  併走するように走りだしたアンドロイド、機械の身体のはずなのに、彼女の掌は不思議と暖かい。 「………エラー」 「ホントだよ、まったく!」  豪邸のチャイムを連打するように鳴らして、驚いて出てきた使用人らしき人物に、 「すいませんが、花井さんいますか。『こっち』じゃないほうの………」  息せき切って聞くと、青ざめた使用人が慌てて俺とアンドロイド花井をせき立てるように奥へと案内する。  ドアを開けると、ベッドの上の花井が、ゴーグルを外して微笑んでいた。 「何で笑ってるんだよ!こっちはもう………めちゃくちゃ焦ったんだからな!」  前に会った時よりもまた細く、そして白くなった気がする花井がくすくすと微笑む。 「………ありがとう。私いちどね、青空の下を、ああやって………走ってみたかったの」  自分の隣で〈学内清掃用プログラム〉をインストールしなおしているアンドロイド花井もまた、少しだけ寂しげに微笑んだように見えた。見えただけかもしれない。 「学校、卒業できるかな。できないかも」 「出来るって」 「私のアンドロイドは、卒業式に出るの。卒業生代表の言葉も読むの。聞きたいし、見たいな。みんなの顔」  ゴーグルをなでる花井に、俺は遠慮がちに聞いた。 「………生きろよ、とか、頑張れ、とか簡単に言っていいやつ?それ」  花井がしばし沈黙する。そして、ゆっくり顔を上げて言った。 「…………うん。ありがとう」  ゴーグルを脇に置いて、花井が手を差し出した。思わず数秒間手が宙を彷徨うが、俺は思い切ってその手を握り返す。アンドロイドよりもずっと掌は、冷たかった。  花井は卒業式の翌日に『旅立って』いった。自分にとって初めての、秘密の葬儀。  これも花井のたっての願いだったという。一人での旅立ちは、寂しくはないのだろうか。たったひとりの学友、そして幼なじみ。見送るのが、自分のような地味な、取り立ててどうということもない存在で、本当によかったのだろうか。  華やかな高嶺の花の委員長にはもっと相応しい見送りもあったんじゃあないか。そんなことを思いながら、棺の傍らで静かに涙を流し、肩を寄せ合う花井の両親を見やる。そして、棺に詰める花を手に取った。  すっかり細くなった顔に、綺麗な化粧が施されている。花を手向け、胸の前で組まれた手に、そっと触れた。初めて手を握った時も冷たかったが、もっと冷たい手が告げる。  高嶺の花はもう天国にしか咲かないのだ、と。  アンドロイド花井のお役も御免らしい。世間では花井は『海外留学』と言うことになっているらしい。  これからどうするのか、遠慮がちに先日の使用人に問いかけてみたら、花井の遺言で、同じ様な歳で、同じ様な事情で学校に通えない女の子の元に連れて行かれるらしい。  外見も作り直して、教育やその他の高性能プログラムもインストールし直すという。  それでも、アンドロイド花井は、あの日の青い空を覚えていてくれるのだろうか。  ふとそんな事を考える。  葬儀の帰りにふと立ち寄った、卒業式も終え、静かな校庭に桜の花が舞う青空を見上げて。
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