日野水葉の恋じゃらし。

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日野水葉の恋じゃらし。

 ──回避性パーソナリティー障害。  これは私──日野水葉(ひのみなは)が小さな頃からずっと患っていた精神病の名称だ。  傷付くことが恐ろしくて、それを回避していくための行動が、いつしか無意識のうちに自分の生きる上でのベースとなってしまう病気。  本当はやりたいことがあったとしても、自己防衛が働き、それを押し殺してしまう。  今の高校二年の私が、こんな可愛げのない性格になってしまったのも、きっとこのせいだ。  ──友達を作りたいけど、あの時みたいにまた、裏切られるのが怖くてそれが出来ない。  ──行きたいと思える進路があるけど、夢に少しでも近づけるための道草でさえ、今よりもさらに不幸になった自分が見えてしまって躊躇してしまう。  そんな私だから、当然自分のことがこの世で一番大嫌いで、どうしようもないけど、そんな自分を変えることは、一ミリでも動かすことは、やっぱり怖くて、恐ろしくて出来ない。  ──もう私は死ぬまでずっと、こんなんなのかな。  ──ならばいっそのこと……。  私は金曜日の放課後、掃除当番を終えて教室の鍵を職員室に返すのと同時に、こっそり屋上の鍵を盗んだのだ。  私は教師の目を盗んで、屋上への扉を開く。  ゆっくりと開かれる扉の隙間から、夕陽のオレンジが射し込む。  最期に綺麗な夕焼けの景色が見えたのは、良かった。  何故だか、少しだけ景色が歪んで見えるような気がするけど、どうせこれから私の中身は全て空っぽになるのだから、もうどうでも良い。  私はフェンスを乗り越えると目を瞑った。  そして、片足を空へと投げ出し、それに続いてもう片方を──。 「きゃっ!」  投げ出すことは出来なかった。代わりに両足は屋上の地に戻ってきた。でも、それは自分の中の恐怖によるものではない。それは──、 「ハァハァハァハァ……ぜぇひぃぜぇひぃ、日野、何処も怪我していないよな」 「……くも、ざど、くん……?!」  同じクラス(二年三組)の男子生徒──雲里葉瀬(くもざとはせ)君によって、後ろから両腕で包み込まれた後、私の首と足の関節部分に彼の手が回り、そのまま抱き寄せられた状態のままで、フェンスの内側へと戻された。  彼は私の安否を確認すると、ほっとした様子で、ただ「良かったぁ~」と柔らかい声で、そう言ったのだった。  私は当然、しばらくの間、固まっていた。  沈黙の時間──それがどれくらい続いたかわからない。  でも、そんな重い空気すらをかき消した彼の言葉は今でもしっかりと憶えている。 「俺のラノベ主人公的なお姫様抱っこ、どうだった?点数付けるとしたら何点?」  ──そう、彼は私の自殺未遂については触れずに、ただそんな可笑しなことをいったのだ。  本当は「ぷぷっ」と笑いたかった。でも、そんなことは、今の私にとって人前で出来ることではない。  だから、ただいつものように冷たく返してしまう。 「先ず始めに、後ろから抱きついてゲス豚のようにンゴンゴと私の脇汗を嗅いでたところで、マイナス五億点。そして、私をお姫様抱っこしている時に歯を食い縛って、重いから痩せろよみたいな顔でこっち見たからさらに減点。と、言うかあのお爺さんの腰の曲がり方で持ち上げて来るのはお姫様抱っこですらないからツンツン」 「ンゴンゴと嗅いでねぇよ!単純に走ってきただけだから、荒い息してただけだし、俺は体力測定最下位のヒョロモヤシ男だから、力なくてお姫様抱っこするの結構キツくてだな!あと、ツンツンを語尾に表示するな!」  雲里君とはそんなやり取りをしばらくした。  きっと、今は無理にシリアスな話を自分からするより、彼の私への思いやりによる冗談に乗った方が良いと思ったから。  きっと、向こうもそんな話を聞かされたくないから、そうしているのもあるのだろうけど。  そうして、この日は結局、私は命を終えることが出来ずに、雲里君と屋上で解散することとなった。 「じゃあな、日野」 「……ええ。今日は一応、ありがとう」 「……ああ」  私は彼に背を向けると、扉の方へと歩き出した。  すると、私の背に向けて、彼が一言こう言った。 「日野は優しい子だよ。だから、明日もこの世界に、どうか居てくれないか……」  彼のそんな言葉の語尾は、とても細くて小さくて、自信無さげで、でも、とても力強かった。  私はその言葉にしっかりと救われてしまっていた。  ●○●  誰よりも優しい彼に、「あなたは優しい子」だと、そう言われたあの日から、教室の前の席である彼と、ちょっぴりお話するような仲になった。 「……ねぇ。そのあなたが読んでいるライトノベル?という小説は、そんなに面白いの?」 「ああ、面白いとも。この『青い鳥のアナタとなら3000年のデートが欠かせない。』略して『青ない』は、アニメ化もした累計発行部数、五百万部を超える人気作だ!」  そう言って、彼はその『青ない』とやらを私の目の前に掲げてきた。 「へぇ。そんなに人気なんだ。次の巻はいつ出るんだろうね?」 「ああ、この原作者である馴鹿となかい山太さんた先生は、よく編集部から逃げて、度々失踪事件起こしてることで有名だからね。しかも、今回に至っては、失踪して四ヶ月以上経ってるらしいし……次があるかすら怪しい(ショボン)」 「えっ、それって大丈夫なの……?」 「わからないけど、こんな作品を書ける先生だから、多分きっと大丈夫だと思う」 「ヲタクの大丈夫の基準がわからないわ……」 「文章を読む限り、優しさが伝わってくる先生だから、きっと救ってくる存在もいるはずだよ」 「そっか」  でもまぁ、彼がそう言うのならば、大丈夫なのかな。  きっと、私にとっての彼──雲里君みたいな存在が、その馴鹿先生とやらを救い出してくれるはずだろう。  どちらかというと、その馴鹿先生とやらが書いた作品よりも、その方が救われる暖かい物語があれば、そちらの方が個人的には読んでみたいのだけど。  ●○●  そんな彼の趣味の話に付き合いながら、数日間が過ぎていった。  そして、彼とちょっぴりお喋りをする関係になってわかったことがある。 『ちょっぴり変な子』  うん。一言で表現するならば、これに尽きる。  先ず始めに、彼は私と同じく、クラスの中でボッチであるということ。  それは私みたいに、他人と関わりたくなくて、敢えて冷たい空気をまわりに出して近寄らないでアピールをする性格だったら、まだ全然理解が出来るのだが、彼は別にそうではない。  では、何故近寄らないでオーラを出していない彼に誰も近付こうとしないのか。  理由は簡単──。 「陰!陰!陰!陰!陰!陰!陰!陰!」  彼──雲里葉瀬から無意識の内に放たれる陰パワーの力があまりにも凄まじ過ぎて、クラスで全く目立っておらず、酷い話空気のような存在としてクラスメート全員に認知されてしまっているからだ。 「今日も陰キャ丸眼鏡もやしっ子体質のせいで、日野以外誰も寄って来ない」 「そうね……」  私は彼に対して、いつものように冷たく返すが、流石に可哀想に思えてくる。 「はぁ~。俺にはバンドのボーカリストよりも、大勢の注目を集めると言う人生の目標があるのに、一向に叶いっこなさそうだ。あっ、もちろん目立つのは良い意味でね」  なんで、バンドのボーカリストさん以上の注目を浴びたいのかは謎だけど、まぁそこはちょっぴり彼が変な子だから、ほっといてもいいかな……。  でも、今の彼の発言のお蔭で、彼を良い意味で目立たせるアイデアが私の脳に浮かんだ。  よしっ!そうと決まれば、即行動しよう!  私は居眠りする教師たちが沢山居座っている職員室にこっそり忍び込むと、難なく放送室の鍵をゲットすることが出来た。  そして、私は皆がお昼ごはんを食べてる中、一人で放送室を占拠して、ギターを取り出すと、マイクに向かって、こう叫んだ。 「今日のお昼の放送は私、シンガーソングライターの【雲里葉瀬のカ・ノ・ジョ】が、替わりにお届けしようと思います!」  そう、私が彼を目立たせるために取った行動、それは──、 「それでは先ず、一曲生演奏します!聴いて下さい。【雲里葉瀬のカ・ノ・ジョ】で、『葉瀬君へのLOVEソング』」  お昼休みの放送で、私が彼の良いところを歌にして届けるということだ。  私は昔から、一人が好きでずっとお部屋で、楽器を弾きまくってたから、曲を一通り作って、それを自分で歌うことが出来る。  本当は普段の私なら、こんなこと精神病のせいで出来ないけど、なんだか私の心を救ってくれた彼の為なら、なんだってやれる気がした。  今、この瞬間は『行動して傷付きたくない』より、『やりたいことをやってやろう!』が私の中で大きく広がっている気がする。  一応、匿名で名前は出さずに、アーティスト名は【雲里葉瀬のカ・ノ・ジョ】としたから、おそらく私がこんなことをしているとは、彼を除いて誰もわからないだろう。  私の声に聞き慣れていて、彼と私との間にあったことだけを歌詞した曲を、これから歌うのだから、彼だけはイヤでも流石に、私の仕業だって気付いてしまうだろう。  私はその後も、彼の良いところを歌詞にできるだけ多く詰め込んで、ギターでアルバム一枚分くらいに及ぶ曲を弾き語った。  ──あの時、自分の人生ものがたりに、自分で勝手に完結させようとしてしまった時に、彼が取ってくれた行動を。  ──そしてなによりも、優しい彼が私のことを優しいと言ってくれて、この世界に居てくれないかと小さくて弱く、けれども力強くて安心できる声で、自分の居場所を創ってくれたこと。  そのこと全てをメロディーに乗せて、全校にいる生徒、教師に伝えた。  ●○●  私が教室に帰って来た時には、彼のまわりにはクラスメートだけでなく、全校生徒&教師達でいっぱいだった。 「雲里って、めっちゃ良い奴!」 「彼女ってどんな子?絶対に可愛くて、誰よりも君のこと愛してるでしょ!」 「雲里!お前の彼女の歌のお蔭で、職員室の先生も皆、目が覚めて……しかも、覚めたばかりの目から涙が出てきたぞ!お前とお前の彼女は我が校の誇りだな!」 「どうも、放送委員の者です。今回、勝手にあなたの彼女さんが放送室を占拠したことは、まぁ不問としてあげましょう。なんせ、今日の放送は、開校以降最も高い視聴率ならぬ、聴率が取れましたからね!」 「おいらも、自分の良いところ見つけてくれる彼女を作りたいでごわす!」 「Meミーもでヤンス!」  その他、諸々。  とにかく、計画&実行犯である私のことは、バレていないようだ。  おそらく、これはきっと、雲里君は気付いたけど、敢えて黙ってくれていたからであろう。  後でちゃんとお礼を言わなくちゃね。  今考えると、放送室を乗っ取って、こんなことをするだなんて、まさしくこの前雲里君とお喋りしてたライトノベルの内容みたいなお話だけど。  ──雲里君はもしかして、怒ってるかな?  ようやく今になって、普段の冷静さと『恐怖』が戻ってくる。  もし、自分の善かれと思って取った行動が、相手を傷付けたら、どうしよう……。  私は期待と恐怖、両方を握り締めたまま、二人きりになれる時を待った。  ●○●  ──放課後、二人だけの二年三組の教室。  昼休みから午後の授業全てが終わるまでが、実際の時間よりも長く感じたのか、短く感じたのか、それすらわからない。  そうなったのも全部、自分の中に出てきた初めての感情のせい。  私は前の席にいる彼の背をしばらく見詰める。  すると、彼は視線を感じ取ったのか、急な勢いで、私の方を向いてじっと見詰めてきた。 「……」 「……」  しばらく、私と彼との間には沈黙が続く。  やっぱり怒っているのかもしれない。  怖くて、顔も見れないけど。  ──でも、それは私の思い過ごしだったらしい。 「日野って、普段の俺と話す時の声も可愛いんだけど、歌う時はもっと可愛い声してるんだな。ギターもお前が弾いてたんだよな。とっても上手だった。もっと日野は自分の行動に自信持って誇って良いと俺は思う」 「……っっっっ?!?!?!?!」 「どうした?」 「……いや、可愛い声って、その……」 「ああ。俺の推しの声優さんレベルで可愛かった!」 「……こ、こんなにも、無自覚そうな表情で可愛いって、連呼する人始めてみた(ボソボソ)」 「へっ……?」  お前は、鈍感系ラノベ主人公かよってことだよ!  ゴホンッ。なんか、ヲタクみたいなツッコミを地の文でしちゃった。  私もしかして、彼に結構毒されちゃってるのかな……。 「歌詞聴いてとっても嬉しい気持ちになったよ。俺が目立つようにしてくれて、ありがとう」 「……う、うん」 「でもな、【雲里葉瀬のカ・ノ・ジョ】ってのは後で絶対に改名しろ!いくら、俺を目立たせるためにやってくれたとはいえ、これは完全にデマだから。それに、なによりもお前自身、好きでもない男の彼女名乗るのとかイヤだろ!」 「へっ……」  その時、私は変な声を出してしまった。  その理由は言うまでもなく、今の彼の言葉で、私は自分の中で感じたことのない初めての感情の正体に気付いてしまったからだ。 「とにかく、改名だけは頼む……でも、良かったら、また日野の優しさが籠った歌声を聴かせてくれ!」  彼は少しだけ、照れた表情をしてまた私に歌ってほしい──そう言ってくれた。  しかも、また優しいとも言ってくれた。無自覚な感じで。  ……もう、私は耐えられない。 「ほわぁ……♡」  ──どさっ。  私はその場に倒れ込む。 「お、おい?!日野、大丈夫か!しっかりしろ!!」  彼の必死で私を心配してくる声が聞こえてくる。  全く、誰のせいで倒れちゃったと思ってるの。  そう、私が倒れて意識まで朦朧としてしまった理由──それは新たな病を患ってしまったからだ。  私はこの鈍感過ぎるけれども、世界で一番優しい声をしているあなた──雲里葉瀬君のことが大好きなの。  人として。  恩人として。  想い人として。  私の新たに見つかったこの想い人に対する病だけは、死ぬまで絶対に治らないし、治さない!  だって、私は明日もこの世界に、あなたの隣に、そばに居させてもらうつもりなんだから──。
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