水妖日の人魚

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 人魚と暮らしている、というのがそこまで珍しいことだと思わなかった。犬猫に比べれば少数派かもしれない。だとしてもそんなに嫌そうな顔で「・・・・・・人魚、ですか」と言われるとは。 「人魚、嫌いなの?」 「どっちでもないですけど。あんまり、人に言わないほうがいいかもしれませんね」 「どうして?」 「・・・・・・テレビとか見てないんですか」 「最近見てないな」  テレビも音楽も、人魚と暮らしてからは見なくなっていた。人魚のちいさな歌声が聴こえるように、なるべく大きな音を立てたくなかったのだ。  怪訝な顔の後輩が、「悪く思わないでくださいね」と前置きして思いつめたように口を開いた。 「露店で買ったって言ってたましたよね。それ、騙されたんじゃないですか」  ほらこれ、と先週のネットニュースの記事を僕に見せてくれた。【違法な路上販売店】【正規でないルートで入手か】【保護団体は見た!悪質な管理体制】【現代の押売り? 元販売者にインタビュー】・・・・・・ 「最近結構問題になってて。ほら、ちょっと前に流行って大量輸入してたり繁殖させすぎたりしたやつを今安く売ってるんだって言ってました。 ドラマで主人公の部屋に人魚の水槽が飾ってあって、みんなマネしたがってぽんぽん違法な繁殖や販売が横行して規制されたんです。逮捕者も出たんですよ。研究によると人魚の個体が人間に恋することなんて無くて、成長過程でのナントカとかで一部の個体で起こる一時的な症状を「恋だ」って売りつけるんですって」  このへんの駅近くも摘発があったみたいですよ。後輩の声は遠くで響いているみたいだった。 なんとなく、家に帰りにくかった。人魚の嬉しそうな顔も赤らめた頬も、単なる生存本能による反射だったのか。言葉通り、不良在庫の処分だったのだろう。そう考えるとこの三か月間が滑稽に思えて、どんな顔をしていればいいのかわからなくなってしまったのだ。僕は終業後もうだうだと居酒屋で時間をつぶしていた。それでも帰らないわけにはいかない。明日も仕事だ。自宅で着替えたり風呂に入ったりしたかった。  なにより、騙されていたとしてもあの小さな人魚が心配になったのだ。人魚が来てからこんなに遅く帰ることはなかった。  不安に思っているかもしれない、と考える一方で、あの生き物はそんなことを思わないだろうという暗い感情もシミのようにこびりついている。  ぐるぐる渦巻く気持ちを抱えたまま、アパートの暗い階段をのぼる。僕は静かにドアを開けた。 ・・・・・・水音がしない。「ただいま」と声を出すが変わらず部屋は無音のままだ。いつも彼女は尾びれのぽちゃん、という音で答えてくれるのに。  襲い掛かる不安に、僕は靴のまま風呂場に駆け込んだ。 『はじめて人魚と暮らすには』の一番最後のページを思い出したからだ。 【注意:人魚は、とても一途で聡明です。特に恋をした人魚は、    「もう愛されない」と感じたときは水に融けてしまうことがあります】  静かに水が揺れていた。
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