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そんな日々の中でも、ようやく面接までこぎつけた会社があった。海外旅行やホームステイを扱う大阪の会社。今の自分に果たしてどんな面接ができるのか分からないけど、それでも行くしかない。ピーク時はほぼ毎日、一日に二つの面接をこなす日も多かったのに、今となっては嵐が過ぎ去ったかのように何もない。この面接が関空以来になる。
電車に乗ると少し心が痛む。あの日もこの電車で決戦のピッチに向かったな、この風景を見ながらあの歌を聴いて。しおしおしていてもしょうがない。感傷的になっている場合じゃない。
控室に案内されると、学生の数は少なかった。もうこんな時期だ。かつての活気もない。それにこの時期まで就活しているくらいだから、はっきり言って「できる奴」っていう感じの学生はいなかった。誰もが面接に落ちそうな雰囲気を漂わせている。つまりは自分もそういうタイプなのだろう。
面接が始まる。ずっと繰り返してきたことだけに、今さら質問に焦ることもない。まずは一分間自己PR。自己PRも何度か修正したりしてきたから、これが四代目のバージョンになる。それから学生時代に力を入れたこと、今までの面接でいちばん受けのよかったと思われるエピソードを話す。姿勢はしっかり腕は膝の上、話す時間の約六割から七割、相手の目を見るように。今では慣れてきて、細かいところまでしっかり注意できるようになった。
気になるのは三人いる面接官の一人が、さっきから提出した書類をしきりに見て首をかしげていることだ。
不安はやはり現実のものになった。
「ところでなんで京大の君がこんな会社受けに来てるの?」
「こんな会社」って・・・。今まで受けたことのない質問に戸惑う。
「だ、大学がどうのこうのではなく、自分のしたい仕事をしたいと思いまして」
「というか京大の君が今まで内定ないのはどういうこと?」
特に圧迫面接のパフォーマンスというわけでもない。ただの不信感で聞いている。
「その・・・、私には・・・自分のしたいことをしたいっていう情熱は絶対に捨てられずにあるんですけど・・・、その一方で認められないと・・・、親とか周りに評価されてないと・・・強くなれないというか、だから面接でも、どうしても「あぁ、また自分は間違っているのかもしれない」っていつも手探りで・・・、強くいけないで・・・、きつく言われるとその場で悩んだりして・・・それで自分が正しいっていう証がほしくて・・・」
もう話にならない。惰性で最初はうまくいったように見えても、もう自分は壊れていた。まともな面接ができない。面接官の喜ぶ答えなど何万光年遠くにあるようだ。
そんなに長い面接ではなかったけど、終わってみればぐったりと疲れている。今すぐ窮屈なスーツを脱いで部屋でぐったりしたいっていうささやかな願いも叶わない。
地下鉄を乗り換え京橋へ。京阪のホームに向かってコンコースを歩いていた時だった。ふと横の壁に目がいく。大きなポスターが壁に連続して貼られている。一面の青い空、その中を一筋の飛行機雲が颯爽と軌跡を描き、その先端に太陽の光を受けて銀色に輝く機体が見える。下の方は街の風景になっていて、特徴的なテレビ塔でそこが上海だと分かる。
それだけ見て何のポスターか分かるのが先だったか、それともそこに書かれている文字が目に入ってしまうのが先だったか。
「関空から中国へ 北京・上海へ毎日運行!広州線増便決定!」
スカイクリスタルエアラインズのそのポスターを見た瞬間、体が固まる。
「あ・・・、あうっ・・・」
憧れの空の風景が目の前に広がる。もう届かない空。少し前だったら増便していて嬉しいと素直に思っていたはずなのに。
「う、ううっ・・・」
見てられない、見てられないのに動くことができない。そう、この空、この空だった。関空から飛び立つ空、あんなにも、あんなにも戦ったはずなのに。涙が滲み出る。頭の中でブリザードが吹き荒れているようだ。足ががくがく震える。そのままその場に座り込み泣き崩れる。
「ううぅ・・・。うっ、うぐっ・・・、ひぐっ・・・」
しばらくして駅員がやってきて声をかけられる。
「どうされました?大丈夫ですか?」
「・・・す、すいません・・・。何でもないです・・・。大丈夫です・・・」
何とか立ち上がり、逃げるようにその場を離れる。トイレにかけ込み、個室の中でなんとか涙を止めようと努力するが無理だった。とめどなく涙があふれて止まらない。いっそ、このまま枯れ果ててしまえばいいのに。
30分後、ようやく落ち着いて電車に向かうところで、突然声をかけられた。
「あ、お兄さん。久しぶり。」
エリナだった。こちらは一目見ただけで忘れないが、一時間いただけの貧乏学生の顔がなぜ記憶にあるのだろうか。それこそがプロのたしなみなのか。
「疲れてるねぇ。まだがんばってるんだ。」
「はい、まぁ」
とても見せられる顔じゃない。そそくさと離れようとする。
「今から面接?」
「いえ、もう終わりました。」
「どうだった?」
「ダメです。もうボロボロです。」
「そうだろねぇ。そうだ、せっかくだからお姉さんがランチおごってあげるよ。」
普通の状況であれば、とんでもない僥倖だろう。
同伴というものだったら、かなりの出費になるかもしれない。
「エリナさんは予定大丈夫なんですか?」
「とりあえず終わったよ。小顔矯正にパーソナルトレーニング。けっこう昼間も忙しいのよ。」
やはりプロ意識が高い。それ以上顔を小さくする必要など皆無に見えるが、努力を続ける者だけが辿りつく高みがあるに違いない。
夕方からの同伴が料亭で待ち合わせだからお昼は違うものがいいということで、京橋駅から歩いて数分、オフィス街の裏通りのイタリアンに連れていかれた。ビルの隙間に忽然と白亜の邸宅のような佇まい。看板はひっそりと小さく、注意してみないと気づかない。ランチとはいえ、学生が行くような雰囲気ではなく、少し落ち着かない。
「うまくいってないみたいねぇ、就活。」
この時期にスーツを着てうろうろしている時点で、バレバレ。まして明らかに泣いていた顔を見られている。
「内定もないし、家族からも愛想をつかされそうです。でも誰も分かってくれなくても一人で道を切り開いてゆくという強さもない。夢もほしい、評価もほしいっていう自分の弱さとわがままがこんな結果になったんだと思います。」
「へぇ。なかなか、ちゃんと自己分析できているじゃない。そういう時もあるよ。いつも勝ち続ける人なんていない。」
この程度の苦境など珍しくないのか。いや単に自分がどうなろうとエリナにとってどうでもいいだけなのか。平然と前菜の生ハムと野菜を口に運んでいる。いい食べっぷりだった。
「エリナさんは、なんで今の仕事選んだんですか。」
あまり聞かない方がいい質問だとは思いつつも、つい口に出していた。
「私、こう見えて前の職は銀行員なんだ。」
「えっ・・・」
「うそじゃないよ。でもまぁ、そういう反応になるよね。」
メイクや髪色次第では、銀行員に見えなくもないかもしれない、と想像してみるがやはり難しい。しかも聞いてみると、かなりの大手だった。
「なんで、そんな大きなところを辞めることに?」
「大きくても小さくても変わらないよ。日々、目標という名のノルマと納期に追われて、罵倒されながらなんとか問題を起こさず、数字の辻褄を合わせることだけに必死の日々。このままいてもいずれは心か体が壊れることが見えていたからね。3年で辞めた。」
「離職率も低くて、しっかりしたところというイメージが合ったんですけど。」
例の圧迫面接の前に、少しだけ業界を調べていた。規模は言うまでもなく、平均在職年数、平均年収ともに非の打ちどころがなかった。
「有名な会社になると世間体もあるんじゃないかな。辞める人が少ないから大丈夫ってわけじゃないよ。私の印象では、二人に一人くらいは会社生活の中で、一度はメンタルで長い休みを取っている。ただ、体力のない急成長のベンチャーとかじゃないから、いきなりポイはしない。人事部預かりとかになって、復帰プログラムを受けて、窓際の部署で長い余生を送るだけ。ねぇ、復帰プログラムっておもしろいんだよ。最初は朝決まった時間に行って、三十分読書して帰る。その練習から。ちょっとやってみたいよねぇ。しかも、それの専門業者がちゃんとあるんだよ。つまりそれだけニーズがあるってこと。
結局、病んでも辞めるか辞めないかの違いだよ。日本の組織には二種類の人間がいるの。叩く人間と叩かれる人間。叩く側が叩かれる側にまわることもあるけどね。とにかくそうやって適当に見せしめを出して淘汰していくようなシステムになっているわけ。で、残ってがんばっている人は偉いねぇって奮起させて、また次の生贄を探す。離職率なんてあてにならないよ。二年目で店長になれるとかうたっているベンチャーでも、30年勤めて主任という肩書がつく老舗でも根本は変わらない。いくら福利厚生やコンプライアンスや働き方改革って言ってみても、結局はどの会社も生き残るために必死なの。少ない人件費で多くの成果を出させたいのが本音だよ。自分の足で立ち、自分の頭で考えて動かないと、組織に搾取されて捨てられるだけ。」
深刻な話をしているようで、エリナは涼しいとメインの肉料理をどんどん食べ進めていく。
「自分や家族の生活を守るため社会から弾かれないように、必死に生きる毎日。気がついたら夢なんて言葉は引き出しのいちばん奥にあって見えなくなっていた。」
そして、ふと思い出したようにつぶやく。
「病んでも辞めなくていいだけの未来を、私たちは未来と呼ばない。一緒の時期に辞めた同期と、よくそう言っていたな。」
「でも、今の仕事に入る決断って・・・」
「そうね。会社にいてもどうせ人間関係で悩むなら、分かりやすく競争社会に行ってもいいのかなって。自分の夢への最短コースと思って飛び込んだけど失ったものもたくさんあった。今までの人間関係とかね。友達は9割いなくなった。でも・・・」
悲しい思い出を話している感じはない。エリナは楽しそうだった。
「でも、本当に自分がなくしたくないもの、大切にしてきたものはそう簡単にはなくならない。一回全部リセットしてよかったかもしれない。そこからまた本当に大事なものだけ積み上げていける。」
エリナはそれから、スマホで自分のinstagramを開いて見せてくれた。たしかに「元銀行員ノンアルキャバ嬢」という紹介がついている。
「これは先月、北海道に行ってきた写真。」
小樽の運河沿いのようだ。友達と楽しそうに映っている。
「高校の時からの親友。みんなバラバラだけど、一年に一回は必ず予定を合わせて旅行に行くんだ。それから、こんなのはどう。」
周りを竹やぶに囲まれた露天風呂のようだった。ぼんやりとした灯篭の灯りの中、バスタオルを巻いたエリナがほほ笑んでいる、相変わらずどうしたら、このギリギリが狙えるのだろう。どうしても胸元に目がいってしまう。
「これは、お母さんと温泉旅行。」
湯船の向こうで、誰かがバイオリンを弾いている。どう見ても超高級宿に違いない。
「すごいですねぇ・・・。」
もはや感想が意味不明だ。
「これ、部屋に付いているお風呂なんだよ。」
「えっ、まさか・・・」
普通に大浴場といっても何も遜色ない広さだった。この周りの風情ある竹やぶも、ライトアップもバイオリン演奏まで。あまりに遠い世界の話に見えた。
「今は何があっても、私が家族の生活を守れる。それにこうやって旅行もプレゼントできる。だから、私はこの仕事をしていることを後悔していない。」
「でも仕事、嫌なこともあるんじゃ・・・」
「もちろん演じないといけないことはたくさんある。」
「それは自分を捨ててでもということですか?」
「そうかもしれないね。ありのままの自分も自分。でも演じると決めた自分も、それが自分の意思ならどうなのかな?笑顔を届けて誰かを幸せにする、演じたい自分の姿に向かって真摯に努力して、誇りを持ってやっていれば、それもまた自分なのかなって気はする。」
ありのままの自分も自分、演じると決めた自分も自分。そこに意思があるなら。
「君は今、全てを失ったと思っている。でも、大切なものはきっと消えない。これから一つずつ見つければいいんだよ。ずっとエリートで、なかなか不敗神話から抜け出せなかったんでしょ。それって苦しかったと思うよ。」
人生で22年間、不合格というものはなかった。いや、たった一度だけ、高校3年生の時、毎週月曜日に行われる小テストで不合格だったことがある。その前の週末、部活の全国大会で遠征していて、さすがに対策ができていなかった。その時のショックは今でも鮮明に覚えている。そんな自分がここ数カ月で、不合格40連発したのだ。もう感覚が完全に麻痺している。
「ねぇ、「葉っぱ隊」知ってる?やっぱり知らないの。これだから勉強ばかりしてきたエリートは・・・って言われるの嫌いでしょ。今ムスッとしたね、ほら。うそよ。世代的に知らなくて当然だから気にしないで。とにかく今の君にぴったりだと思うよ。帰りにTSUTAYAでも寄ってDVD探してね。AVばかり見てないで・・・って、ほらまたすぐ動揺する。」
「葉っぱ一枚あればいい~生きているからラッキーだ~」
その夜観たDVDよりもエリナが口ずさんでくれた歌声が、ずっとずっとよかった。
「君にはいいところもたくさんあるから大丈夫だよ。まず職業で人を差別したりしないしね。
君は無理に合わせ過ぎない方がいいと思う。それだと、どうせうまくいかない。それよりもっと自分を出してもいいと思う。ただ、やるにしても自分の殻からちょっとだけ顔を出して、分かってください、認めてくださいっていうのじゃダメ。自信を持って伝える努力をすること。それから相手の話を理解しようとする姿勢を持つこと。そして今は、大切な親や友達とたくさん話すこと。いい?わかった?」
分かりました。いつかちゃんと就職できたら、またエリナさんのお店に行ってみたい。そう、伝えると、
「そう。じゃそれまで続けるわ。でも高いよ。まあ初任給は親のために何か買ってあげるでしょ。だから二ヶ月目の給料がなくなる気でいてね。」
久しぶりに少し笑ったせいなのか、顔の筋肉がうまく動かない感覚があった。固まっていた顔面が少しだけほぐれたようだ。
ドルチェも終わりにさしかかって、そろそろ席を立とうかという頃にスマホが鳴った。関空戦のショックから立ち直れず、しばらく連絡を取っていなかったセツナだった。LINEにしては長い文章。食い入るように読んでしまう。
「元気にしてる?私は最後まで受けていた会社もダメだった。実は来年、オーストラリアに一年行こうかと思っている。受けていた留学斡旋業者が、語学研修しながら現地で日本人のサポートをするプログラムを用意してくれていて、一年後に留学カウンセラーとして採用される道があるらしいんだ。
このまま日本にいて妥協して、既存の価値観の中で小さく生きていくよりも、いつだって夢に向かって飛び立てる心を持っていたい。」
「ねぇ、ずいぶん真剣じゃない?彼女ほったらかしててフラれたのかな?」
エリナの声にハッと我に返る。
「違いますよ。就活で出会った友達です。彼女もうまくいかなかったみたい。」
「女の子なのね。見せて見せて。」
爪の先まで一点の隙もない、エリナの白い腕が伸びてくる。言われるがままにスマホを渡してしまう。
「なるほどなるほど・・・。ねぇ、私が返信考えてあげる。」
「えっ、それはちょっと。」
「大丈夫。悪いようにしないから。女心をつかむテクニックなら任せてよ。」
「いや、女心をつかむ前に、励ましを。」
「いいからいいから。ちょっと待って。」
こなれた指づかいで、どんどん文章を打っていっている。不安はあったが、もう無理に止めることもできない。
「はい、送信と。」
「えぇっ、送っちゃったんですか。」
「うん、さ、そろそろ行こう。あ、まだ見ちゃダメ。帰りの電車のお楽しみで。」
言われるがままに戻ってきたスマホをポケットにしまい、席を立つ。
「分かった?とにかく一人で追いこまないこと。ちゃんと親や親友と連絡取るのよ。じゃあねー。」
そう念を押すと、エリナは軽やかに雑踏に消えていった。
帰りの京阪電車のホームに向かいながら、さっきのトークを開いてみる。エリナが打った返信もやはりかなりの長文だった。
「うわーっ、一年後に採用とかって、それ絶対だまされてるやつじゃん。ってか、何が飛び立てる心だよ?日本でうまくいかないのに、とりあえず海外でやってきましたって痛いやつだよね。痛たたたっ。甘すぎるでしょ。どこにいったってダメなものはダメ、自己満足で一年間ムダに過ごすだけだよー。」
茫然と立ちすくむ。「既読」はついていた。返信は来なかった。
街路樹から降りそそぐ落葉の褪せた黄色が通りを染める。気がつけば秋ももう終わり。冬の足音がたしかに近づいている晩秋のある日曜日。日も短くなり、そろそろライトをつけている車もいる。
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