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アパートの前の北山通りで、親友の大西英明の車を待っている。もう受けられる会社は残っていなかった。悪あがきはやめて、身の振り方を決断をしなければならない時期だった。ふと、エリナのアドバイスを思い出し、大事な友と一度、連絡を取っておこうと思い、今日の午後メールしてみたのだった。
特に何かを期待していたつもりはない。ただ近況を尋ね、自分は来年からどうしようかなと、あまり深刻な文章にならないように気をつけながら書いたつもりだった。
すぐに、これから行くと返信が来た。それが二時間前の話。
現在、英明が住んでいるのは兵庫県の西宮。同じ舞田高校、部活で出会った友だった。切磋琢磨といえば聞こえはいいが、それよりも一緒にバカなことをやってきた思い出の方がはるかに多い。思い出すだけで幸せがこみあげてくる懐かしい日々。
同じ部活の仲の良い友達で関西圏に住んでいるのは、英明と自分なので、大学進学後も時々は、関西部会と称して互いの街を行き来し、朝まで語り明かした。帰省の時期は、ムーンライト祭りと称して、休みの期間だけ関西と山陰を往復している臨時夜行列車の中で語り明かした。話尽きることなく、だんだんと声が大きくなるので、車掌に注意されたことは言うまでもない。
冬休みに会って以来なので十カ月ぶり。就活に入ってから連絡をしなくなっていた。それまでは月一程度でお互い行き来していた。英明からの連絡は時々あった。返信すらしなくなったのはいつからだろう。スカイクリスタル戦の敗北の頃からだったか。今のみっともない自分では会う資格はない。もう少したらきっと結果が出る。そうしたら晴れやかな気持ちで再会しようと心に決めて今に至る。こちらの都合で疎遠にしていた手前、どんな感じで迎えればいいか、少し緊張する。
そもそも、誰かと話をするのが久しぶりな気がする。ずっと孤独な生活だったわけだ。セツナにも、あれ以来連絡を取っていない。事情を説明したところで、第3者にスマホを渡して、結果的にあんなメッセージを送ったという事実は消えない。
もうセツナに会うことはないだろう。そんなことを考えていると、ウィンカーを出して、目の前にヴィッツが滑り込んできた。英明の車だった。
「よぉ、久しぶり」
何も変わらない。懐かしさというか安心感というか、あたたかい気持が体を満たしていくのが分かる。地元から遠く離れたこの街で、青春の熱い心を分かち合った友に会える。奇跡のようにさえ思えてくる。
近所のお好み焼き屋で夕食を済ませ。同じ建物に入っているカラオケ屋へ。地元では、大手チェーンのカラオケ店はもちろんなかった。かつては、空き地に貨物列車のコンテナを並べたカラオケ店もあったが、さすがに今はなくなり、駅前に何店かカラオケの看板を出している店がある程度。ただ、スナックとの境界が曖昧なので、間違って迷い込むと話がややこしくなる。そんな思い出がとめどなく尽きない。
男2人で入っている時点で、もう何も気にすることはない。周りの雰囲気だの、今のトレンドだのは度外視。ひたすらお互いに好きな歌を熱唱する。時々、この曲を聴いて面接に向かったなと感傷的になることもあるが、勢いで吹き飛ばす。2時間が気がつけば4時間、締めは2人で「サライ」を熱唱した。
気がつけば日付が変わっていた。今から西宮に帰ると午前二時はまわるだろう。申し訳なかったな、おかげで元気になった、そう伝えようとすると、
「明日、予定ないんじゃろ、ちょっと走ろうや。」
深夜のドライブ。南禅寺の辺りの狭い道を抜け東へ。だんだんと建物がなくなり、登りの道になる。県境を越えて滋賀県、比叡山を横目に、どんどん闇の中を進む。一瞬、山頂の星野リゾートの灯りが視界に入ったが、それ以外は果てしない漆黒の空だった。
さすがにこの時間、ドライブインに他の車はいなかった。自動販売機の灯りだけがぽつんと佇んでいる。
ふと、何かを思い出しそうな感覚にとらわれる。どこかで見たような感覚。駐車場の端の木々の隙間から、覗き込んだ時に分かった。そこに広がっていたのは大津市の夜景だった。真っ暗な琵琶湖の形を取り囲むように、光の粒が瞬く。あぁ、これだった・・・。小さな灯の連なり。今日も変わらず巡る営み。懐かしい光だった。。
十一月の夜風、しかもここは山の上。それでも何かがぼんやりと荒んだ心を温める感覚がある。
「来年からどうするん?」
さすがに寒くなってきたので、熱い缶コーヒーを手に車内に戻った。
「地元に帰って、働く予定。」
「内定取ったん?」
「いや。取ってないけど、親が仕事、紹介できるって言っとるしね。」
「一也はそれでええんかね?」
英明は来年から高校の教員になる。それもあって、就活で内定を取るか取らないかにはあまり気にしないかなという、希望的観測はあった。
「そりゃ内定取るに越したことはなかったんじゃけどね、ここまでやってもダメじゃったけー。自分は面接向きじゃないろー。」
「向いているとか向いてないじゃないとかじゃなぁろー。自分が納得できてないんなら、いくらでも続ければいいじゃろ。」
自分は納得はしていたのかな?ふと考えてみる。振り返ってみてもなぜか記憶の中に靄がかかったようでよく分からない。
「そうじゃね、そうなんじゃけどね。もう同い年の奴とかでも、ほら朝比奈とか山下とかも、ちゃんと働いとるわけじゃろ。やっぱそういうの見るとすげぇなって思うろー。自分もこのままじゃいけんなって、いつまでも夢とか理想とか言っとらんで、地に足つけて働かしてくれるところでちゃんと働くのが先決かなって・・・」
「それは逃げじゃろ。」
空気が固まるのが分かった。長い沈黙だった。逃げてはいない、とてもそうは言えなかった。親友に嘘をついてしまえば、何を失うかくらいは分かっていた。
「どこで働いたってええんよ、別に大企業じゃのーても。ただ、うちちが見てた一也は、いつも熱い心を持って、時には周りが無理だと思ってたこともやってのけた。離れてても常に熱く生きようって、言っとったじゃろ。一也の心はどうなんちゅう話よ。」
持病のことがあって、もちろん体育会系の部活は禁止されていた。小学校から日本の伝統文化ともいえるその競技を始めて、高校まで続けていた。文化系にカテゴライズされているとはいえ、心は体育会系。いつも熱さを求めていた。段位を取るため、各地で開かれる全国大会を転戦。県代表として出場する団体戦以外は公休にならないから、金曜日の学校が終わった後に九州や四国まで移動し、週末に大会参戦というエクストリームな経験も何度かあった。明日のことなんて考えていられなかった。ただ今日をがむしゃらに、ただ目の前の試合に全力だった。
卒業して離れても心と心とでつながろう、どこで何をやっていてもここで学んだ熱き心を忘れずに、いつか俺たちが世界を変えよう。いつも最後にはそんな話で盛り上がっていた。
病気になっていなければきっと選んでいない道だった。病気になってよかったなんて決して言えない。ただ、それがあってこの仲間と出会えたのだとすれば、もしも生まれ変わって人生を選べるとしても、また同じ道がいいと言える、そんな仲間だった。
どこかに置き忘れてきた思いが少しずつ蘇る。
そんな自分を信じてくれる仲間がいる。いつでも思い出せる情熱がある。
「そろそろ行こうか。」
再び山間のドライブウェイを走りだす。さっきまでの話がなかったかのように、また昔の話が始まる。顧問や競技団体幹部に勝手につけていたあだ名や物まねをプレイバックしていくうちに、笑いが止まらなくなる。
いつでもここに戻れる。戻る場所がある。
京都まで戻ってきた頃、漆黒の闇を溶かすように、東の空が白んでくる。車を止めて、五山の送り火の一つ、松が崎の山の中腹に登ってみる。古都の街並みが少しずつ姿を現す。
この世界に少しずつ光が溢れてくる。ひんやりとした早朝の空気が草木を潤し、そして透き通るような清らかさで、この世界の傷や苦しみを優しく癒す。色とりどりの木々のざわめき、白い靄の中に浮かび上がる街並み、夜明けとともに鳥はさえずり、眼下の通りには通勤だろうか、早くも歩みを進める人々の姿がある。荘厳な夜明けだった。なんて美しい世界に自分は生まれたのだろう。この世界に生きる限り、何度でも夜は明け、新しい一日はやってくる。
まだ動ける体があって、まだ尽きない情熱がある。ならばそれでいい。力の限り生きていけばいい。
「一也ならできるけー。遠慮せずに思いっきりやったらええんよ。」
できるという言葉をプレッシャーに感じていた時期もあった。でも今は違う。一つ一つの言葉が勇気になる。
「英明、今日バイトあるんじゃろ。大丈夫なん?」
「昼からじゃけぇ、今から帰って5時間寝れる。十分じゃ。」
どうしたらこの感謝を伝えられるのだろうかと思う。でもそれは言葉ではない。生き様で伝えるしかないのだろう。
「また、朝比奈と山下も入れて、総会やろーや。絶対やるけーね。」
「おぉ、絶対やろう。」
英明が帰った後、心地よい疲労が体を包み込む。ベッドに入ったら2秒で眠れそうだ。一日の始まりをこんな風に感じたのは、いつ以来だっただろう。
はるか歩いてきた道は
進むほどにただ遠く
振り返るほどにただあたたかく
だから心はやる朝も
傷の痛む夜も
僕らはゆくだろう
信じたキズナを離さないために
果てがないからこそ進む道を
誰も知らない僕らの道を
「そうか、決まらなかったか。」
電話の向こうの川嶋の声は演技ではなく、本当に残念そうに聞こえた。
一応、何も報告なしもまずいだろうと思って、こちらからコンタクトを取ったのだった。
「実は俺も、新卒の時はダメだったんだ。60社受けて全敗だった。」
「えっ・・・」
「意外だったか?」
「えぇ、まあ・・・」
「誰でも人生一回くらいはそんな時もある。俺は卒業後、期間工で京都の自動車メーカーの工場で働いていた。そうしたら二か月くらいで、やたら高学歴の奴がいるって話題になってな、オフィスの方に呼ばれて、しばらくして正社員に登用された。もともといずれは正社員登用試験受けるつもりだったが、だいぶ早まったよ。ま、いい大学出ておけば、どこかで役に立つもんだ。」
とにかく・・・、川嶋が続けた。
「ヤケにならないことだ。新卒一発勝負って言ったかもしれないが、チャンスは必ずやってくる。草木が土の中でじっと春を待つように、たとえ長い冬でも、あきらめずに根っこを伸ばしておくんだ。その日のために最善の道を取り続けることだ。」
今までさんざん偉そうなこと言っておきながら自分だって、と思わず、笑いだしそうになる。
「でも君は期間工ってタイプじゃないな。大学院に進むとか、来年公務員試験を受けるとか、いろいろ選択肢はあるから、とにかく焦らずにやれることをやるんだ。」
やっぱり悪い人じゃないな。
「川嶋さん。」
「ん、なんだ?」
「舞田みたいな超田舎出身って、周りに分かりやすい成功事例もないし、就職がうまくいかない例もあるってお話でしたよね。」
「あぁ。」
「でも僕は、舞田出身でよかったと思っています。どんなにこっちで嫌なことがあっても傷ついても、舞田には嫌な思い出ができない。いつでも楽しい思い出が詰まった帰るべき場所があると思うと、こっちでいくら傷ついても、がんばれる気がするんですよね。」
「そうか、たしかにそうだな。傷つく場所と帰る場所が分離しているっていうのは、田舎の特権だよな。都会に住もうと思えば進学や就職でいくらでもチャンスがあるが、あんな街に住めたのは相当な幸運だと思うよ。なかなか狙ってできるもんじゃない。」
あの街に生まれて、あの仲間と出会って今がある。だから、都会に出て成功しなければならないと自分を追い込む気はもうない。ただ、いつでも帰る場所がある。ならば、進もうと思う。
「いろいろ、ありがとうございました。」
「おいおい、かしこまらないでくれよ。何か俺にできることがあれば、いつでも遠慮するなよ。」
じゃあ、もし就職決まったら、またエリナのいる店に連れて行ってくださいよって言ったら、少しの間があって、川嶋が言った。
「君も変わったな。就活で成長したんじゃないか。それでいいと思うよ。いいもの持っているんだから。縮こまらずに自分を出せよ。少しくらい失敗したっていいんだから。」
45社落ちたら、嫌でも成長しますよ。そう言ったら予想以上に受けたらしく、電話の向こうで川嶋は大笑いしていた。45社なんて甘いよ、俺なんて60社だぞ。そんなところを競ってもどうしようもない。
川嶋のいう通り、いろいろな道があるのだろう。大学の友人を見ても様々だった。文学部らしく順当に、全国紙の新聞社に入ったやつは勝ち組ということになるだろう。初めて名前を聞くような地元のメーカーに就職するやつもいた。半年前であれば「なんのために京大入ったんだよ。」とひそかに思っていたものだった。最初の面接で結果が出ずに早々に離脱したやつもいた。今まで不合格を知らなかった人生、大げさかもしれないが生きていることが不適格という烙印を押されたような気持ちになったのかもしれない。今までテストの名のつくもの、不合格はもちろん平均点以下もありえなかった。いや、一問でも分からない問題があれば不安になったものだ。それを何十回、何百回と繰り返してきて自分を保ってきた。就活戦線から脱落すれば、進む先はフリーターか大学院か。
もちろん研究者としての資質と熱意があればよいのだが、社会に出ることも叶わず、なし崩し的に選択する文系の大学院進学は茨の道だと思う。周りに見える分、就職よりもそちらの方がイメージはあった。文系の院卒は一般企業からはもてはやされないから、京大でなくともどこかの大学か研究施設で講師や助教の口を狙うしかない。しかし供給過多なのは明らかだった。学会誌に論文が掲載されて評価されるようにならなければ、いつまでも研究生やら聴講生というよく分からないポジションで大学に残り、モラトリアムを続けることになる。二十代後半になっても、学生の頃と変わらないアパートに住み、よれよれの服を着て、バイトで生計をつなぐ。そんな現実を目の当たりにして、自分にはできないと感じていた。
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